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「立つ鳥跡を濁さず」ーなぜ私は気候危機に取り組むのか。Vol.5

こんにちは!

Fridays For Future Tokyo/Japan(FFFJ)のてっぺいです!

夕日がきれいですね!

前回、むつみが世界気候アクション0925の話を書いてくれたので、個人的になぜこの活動をしているのか?について書いてみようと思います。

空が好きなので空の写真を載せつつ書きます。

あれ、やばくない?

最近まで気候変動のことはもともと全然詳しくなく、ホッキョクグマが苦しんでる問題だとしか思ってませんでした。気候危機という言葉も知りませんでした。

しかし、ちょっと調べてみたら思ってたより大きな問題で、地球全体で気候が大きく変わり、食べ物が作れなくなり、今まで住めた場所に住めなくなりるらしいです。日本も例外ではないです。遠いどこかの問題ではなく、気候変動は例外なくすべての国の問題です。高校生の私は大きな被害を受けるでしょう。

これを知ったとき、平和の対義語は戦争ではないという言葉を思い出しました。このまま行けば、地球はより平和からほど遠い場所になります。

地球の終末時計というものがあるんですが、2020年の発表ではあと100秒で終わりと言われています。これは、ゼロに近ければ近いほど地球に住めなくなる日が近いということです。100秒は1947年の開始時から一番小さな数字です。

やばいです、

ゆっくり夕日を眺めることすらできなくなってしまうかも、

夕日2

方法はわかってる!

地球がやばい!っていう話をしましたが、この状況を解決する方法はすでに分かっています。しかし、それを行動に移してくれない「大人」たち。今やらなかったらどうなるかわかってるのに、なんでやらないの?それが今私たちが言い続けてることです。もちろん色々な「大人の事情」があるのは知ってるけど、そんなことで将来世代の楽しい未来を奪ってくれちゃ困りますよ。

FFFJ一同、もどかしさいっぱいで活動しております。

ちなみにFFFの現在、「大人」たちに行動してもらうための署名をやってます。

社会が間違ってるんだ!

尾崎豊が言ってそう!

でも私は本気でこう思ってます。環境問題に取り組んでいるのは自然や動物が好きな人たちと考えている人が多かったり、気候変動対策はリベラルという分類をされたり、環境問題への活動は社会から間違った解釈をされています。生きるためには地球の資源が必要だし、その資源は考えて使わないといつかはなくなってしまいます。でもそんな当たり前のことに気づいている人が極端に少ないのがいまの社会です。

経済の仕組みから、人の根本的な倫理観まで、地球の壊れやすい環境のなかで生きていくためのそれらになっていないんです。

何回も言うけど、その当たり前なことを言い続けるのが私たちのやっていることです。

そんなFFFJの声を少しでも大きくするために、みなさんの声も届けるために、何かしらの形で協力してくれたら本当にうれしいです!!!

ここにFFFJのアクションへのかかわり方が載ってるので見てみてください!

ことわざ

立つ鳥跡を濁さず。ここまで気候変動を食い止めるための活動をしている理由を説明してみましたが、このことわざでもっと簡単に説明できることに気づきました。

もし、私がとても運よく、気候変動の影響を受けずに幸せに死ねるとしても、気候変動などの社会問題への活動には関わっていきたいと考えています。私が死んだあとに生きていく人に良くないからです。誰かが少しでもこの世界を汚したせいでほかの人が苦しむのは良くないと思うんです。当たり前だけど。

幼稚園の時に、砂場で使ったシャベルはきれいにして箱に戻そうと習いました。サッカー部の合宿では、最終日に使ったシーツを先生に睨まれながら初日よりきれいに畳みました。地球全体のことを考えても当然、例外ではないですよね。何か大きなキッカケがあってこの活動をしているわけではありません。ただ、自分が今まで教わってきて、やって当然だと思うことをやっています。私が死んだ後もゆっくり夕日を眺めてる人がいたらいいなと思っているだけです。

夕日3

立つ鳥跡を濁さず!!

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