なぜ『怒る』のか

約3ヶ月ぶりにnoteを書いてみました。
新しい仕事にも慣れてきて、毎日楽しく生きています。

親が子どもを叱るように大人になっても誰かしら叱られるわけです。
ただ、『叱る』と『怒る』は行為自体が違うのです。(ちーちゃんなりの解釈が含まれます。)

『怒られる』『叱られる』は何が違うでしょうか。
大人になってから、『怒られる』『叱られる』どちらが多いですか?

私は5年半の日本語教師の経験から『怒る』ことを辞めました。
辞めた私からすると『怒る』は自分の思い通りにいかないという理不尽さが含まれていると思うからです。

そして、『叱る』は、ルールを守らせる躾けの意味が込められていると私は感じます。
だから、親は子どもを叱るんです。

経験上、『叱る』『怒る』を『アドバイス』『成長のため』と勘違いをして、怒鳴り散らす上司や先輩は山ほどいます。
怒ったり、叱ったりするのって疲れませんか

私は心底疲れたので辞めました。

『そんなの甘ったれた考えだ。』とおっしゃる方もいるでしょう。部下のミスや誰かの間違いを毎回怒鳴り散らしてたら、組織がガタガタに崩れると思います。

『叱る』『怒る』をしない=『優しくする』ではないのです。気を使えということでもないのです。
営業さんがマーケティングしたり、企業分析をするように人のモチベーションの上げ方も分析してみたらどうでしょうか?

かの有名なホストのローランドは『使えないやつはいない。上司がその部下を使いこなせなかっただけだ』のようなことを言っていたそうです。(又聞きなのでうろ覚え…)
上司が有能なら部下の使い方なんて、お茶の子さいさいなんですよ。

有能な上司、ステキな先輩たちは、その部下の何ができて何ができなくて何がわかっていて何がわかってないのかよく知っている気がします。だから、的確なアドバイスができ、次へとスキルアップができる改善策を部下も考えられるのです。

『あいつ、本当に使えないなー』と言っていると言うことは『自分も使えねーなー』と言っていることは同じなのでは?

仕事ができる人がステキな上司・先輩にはなり得ず、怒鳴り散らす上司もまたステキな上司にはならず。


『叱る』『怒る』の履き違え。
『士気を高めるために怒鳴り散らす』
上司も先輩も大変ですが、後輩や部下たちはよく見ていますから、上司や先輩の皆さんも部下や後輩をよく観察してみてください。

最近、怒鳴り散らしていろんな人を泣かせまくっているレジェンドにお会いしたので負のレジェンドだなー、そんなんでドヤるなよと思ったことと、今一度自分の気持ちを引き締めるために自戒の念を込めて。

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