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9年。

2011年3月11日。高校2年生の3月。もう直ぐ4年生になる。

確か、代ゼミか河合塾かなんかの模試が終わって、
予備校の先生から受験対策の話を聞くために
体育館に集まっていたと思う。

体育館の嵌め込みの電球が落ちてきそうだった。
座っている椅子も人の重さなんて大したことないというように
どんどん位置がずれていく。

電球が落ちてきたら、多分、椅子の下に潜っても
安全ではなかったと思う。

体育館から教室に戻るとき、
渡り廊下は砂埃のようなものが舞っていた。
コンクリート校舎なのに。

親に連絡が取れた学生から帰宅。 
幸い、自宅から歩いて15分で帰宅できるため、
家が近い人から帰宅。

止まっている信号。
信号が機能していないため、右往左往する車
海になった隣の高校のグランド。
半壊した校舎。
道路の亀裂。

私が住む秋田はそれだけだった。

ただ、それだけだった。

電気も止まり、水も止まっり、ガスも止まった。
いつ復旧したかは覚えていない。

学校もいつから始まるか、わからない。

今、どんな状況かもわからない。

毎日なる緊急地震アラート。
毎日揺れる。
あのアラートで私は夜寝れなくなった。

アラートを聞くと、震える。
9年たった今も。

揺れると体がこわばる。
震度が小さいだろうと変わらない。

「もう何年もたってるし、何度も聞いているから慣れたでしょ?」

「秋田は大きい被害なかったじゃん。」

私の中には大きく残っている。
いまだに鮮明に思い出せる。

「慣れ」とはなんだろう。

受けた人にしかわからないこと何かもしれない。
決して、慣れることなんてない。

人によって、心の傷は違う。
それは事実の大きさと比例されない。


まだ9年。もう9年。やっと9年。

9年経っても私は忘れることのない1日。
決して忘れてはいけない1日なのだ。

4月に岩手県石巻市に災害ボランティアにいった。
高校の同級生と一緒に。

湊小学校

あねは産婦人科

石巻、

石巻2


私ができることはなんだろう。

記憶があるうちに残すことなのかもしれない。

当事者は決して忘れることができない。

だから、忘れないでほしい。

そして、今を見て欲しい。


3月11日は必ずnoteを書こう。

そう思った2020年3月11日。

来年は10年。

湊小学校に避難していた子どもたちに
「10年後の君へ」と手紙を書いてもらった。
それは、今どこにあるかな?
探して、来年は届けてあげたい。


#いまわたしができること

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