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ちーちゃんの日本語葛藤物語

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ちーちゃんが日本語教師として、奮闘したり、悩んだり、頑張ったこと、やってきたことをnoteで記事にしたものをまとめました。
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#教える

わたしが日本語教師になるまで -

今日、Twitterで共感したツイートがあった。 大学4年のとき、民間企業への就活を辞め、日本語教師の道を選んだとき 大学卒業後すぐに日本語教師になる友達はいなかった。 稀なのかな? 先輩や後輩たちも大学院に進んでいる人が多かった。 私も先生から院進学を勧められた。 経済的に厳しかったので、院には進まなかった。  経済的に厳しくても院に進まれている方はいますが、私はどうしてもできませんでした。 (すでに大学4年間で相当の奨学金を借りていたので。) Twitterでも「

「教える」が「教えてあげている」になってはいけない

日本語教師をしていたからなのか。 人が誰かに何かを教えているところ、教え方とかを見てしまう。 教師をしていたからなのか、ただ単に私が人をよく観察しているからなのか。  すごく気になってしまう。 「教える」も「育てる」も「教えられている人」が「学んでよかった!」と思うか思わないかで、「教えてもらった」になるか「なんか言っていたなー」に変わる。  究極の教えって「教えない」んだと思う。 完全に放り投げても「学び」につながると思うけれども、どう投げるかによって「学び」に繋が