マガジンのカバー画像

ちーちゃんの日本語葛藤物語

33
ちーちゃんが日本語教師として、奮闘したり、悩んだり、頑張ったこと、やってきたことをnoteで記事にしたものをまとめました。
運営しているクリエイター

#学生

わたしが日本語教師になるまで -

今日、Twitterで共感したツイートがあった。 大学4年のとき、民間企業への就活を辞め、日本語教師の道を選んだとき 大学卒業後すぐに日本語教師になる友達はいなかった。 稀なのかな? 先輩や後輩たちも大学院に進んでいる人が多かった。 私も先生から院進学を勧められた。 経済的に厳しかったので、院には進まなかった。  経済的に厳しくても院に進まれている方はいますが、私はどうしてもできませんでした。 (すでに大学4年間で相当の奨学金を借りていたので。) Twitterでも「

クラスで怒るのを辞めた。

昨日、チェーンナーさんの企画「忘れられない外国人のあのひと」について書きました。 これ、実は続きがあるんです。 忘れられない外国人のあのひと-怒るのを辞めた- 日本語教師2年目までは、怖い先生でした。 身長147cmの小柄な私。 そんな私でも怖いと言われたことがありました。 クラスでも宿題をしてこない学生、約束を守らない学生に 毎日のように怒っていました。 当時の担任クラスの学生は「先生、怖いね〜(笑)」が口癖(笑) ちょっとどころではなく、手のかかる学生が集まった

【企画】忘れられない外国人のあのひと-「授業がつまらない」と言ってくれた人-

大学4年生のとき、日本語学校でインターンをしていて 新しいクラスにシフト変更があったときだった。 週1で教え始めて、やっと3ヶ月たったくだらいだった。 週1回の3ヶ月はそんなに回数もない。 まだまだ、不安を抱えながら教壇に立っていた。 それまでの3ヶ月はちょっとヤンチャであんまり勉強をしないクラスだった。そこから急に勉強ができるクラスに変わった。 「どうやって授業をしよう。」 「どんな授業がいいのか。」 「私の授業って良い授業なのか。」 毎日悩んでいた。 そんなある