マルチミーニングな文章表現、都合の良い解釈

・掛け算の順序の議論

つい1ヶ月ほど前、掛け算の順序議論をしばらくの間眺めていた。もとい、一つの議論にしばらく腰を据えて参加していた。この議論は際限がなく、自分も十分に調べきることはできなかったので、程ほどにして離脱したのだけど、そこから数学の先生の界隈から何人かフォロー頂き、活発(?)に議論をしているので、大きく自分からは参加しないものの、遠巻きに眺めさせて頂いた。今回参加させて頂いた議論では、だいぶ得るものが多いと感じたけれど、それ以上に遠巻きに見ていた時の自分の見え方感じ方の方が気になったので、そちらの方を話す。

掛け算の順序論、だいたいの人がみんな掛け算の順序派と言って、かける数とかけられる数の順番を固定して守る人のことを指している。そして、その考え方に批判的な人が順序派と思われる人に議論をかけて、自分の信条だけを基準に生徒にバツの採点をつける人が教師として間違ってることを説いて回る形を取っている。
この考え方にはいろいろと見聞きした上で、僕は賛成とも反対ともつかないと思ったけれど、それよりも少し気になる現象があった。
Twitterの140文字ではなかなか伝わりきらないものがあり、いくらかの掛け算の順序に言及してるツイートについて、それが順序派の擁護をするツイなのか、順序批判派のツイなのかわからないツイが見られる。

掛け算の順序派、と言っただけでは、掛け算の順序(を生徒に固定させる)派とも、掛け算の順序(を生徒に固定させない)派と、どちらで読んでも、違和感なく理解できる結論が書かれており、さらには、そこから導き出される結論は、どちらの意味で読んだかによって、全く逆になってしまう。もちろん、丁寧な議論をする人は、ちゃんと順序固定派と、順序がある人のことを言ってると分かりやすくなるようにしている。

このツイについては御本人さんには勝手な解釈を持ち込んで申し訳ないとは思うんだけど、ご本人の意見を読み込む前の印象では、掛け算の順序(がないことにこだわる)ことよりも大事なことがあると言ってるとも実際、取れる。この人はここに繋がるレスを見る限り、そうではなく掛け算の順序(を生徒に教えることにこだわる)人を非難するつもりで言ってはいることは明らかなのだけど。

この方も、最初は解釈が1つに定められなかったらしく、確認をするかのように掛け算の順序は否定すべき言説であることを問いかけているようにも見える。

これが1番分かりにくいのだけど、掛け算順序(があると教えること)にこだわる教員は、論理的に考えられないと言ってるのか、掛け算順序(があると教えることは問題だと説いて回ること)にこだわる教員が論理的に考えられないと言っているのか、この発言だけでは全くわからないのだ。

掛け算順序(があると教えることは問題だと説いて回ること)にこだわることを非難してる場合には、swordoneさんを批判しているのだと思う(※①)。正直なとこを言うと、教員の中で発生している問題を知らない僕には、swordoneさんが引用元の人の何を非難してるのかはわからない。引用元の人は固定派自由派よりも、この議論を見ているギャラリーに向けられてるようにも見える。これ教員しか分からんべ。。。

いや、本人が何を思って言っているのかは関係ないし、今議論をしている人の中に掛け算の順序(があると教えること)にこだわる教員はほとんどいない。ここまでは少し調べればすぐにわかるのだが、1番の問題は、この発言を見ている多くの人は、話題に対する議論を調べるのは、めんどくさいと思うだろうし、人によっては、ろくに調べもせずに発言する人も出てくるかもしれない。そして、この多くのあまり調べない人が、物言わぬ多数派になっている可能性があると、他の人を疑ってしまうことにあると思う。

恐らくこれが原因で、順序固定批判派の人達は、一々自分から問いかけに出向いて、自説を披露した上で、相手の意見を確認する作業を延々と行っていることになると思う。多数派は崩さないと、正しい数学を普及させることはできないし、自分達の正確な論点を、いろんな人に理解してもらうのはかなわないからだ。

理解の得られない人には、強く言わなければいけない。論点をはき違えている人には、長く説明しなければいけない。こうしてなんとか理解する人を一人でも増やしたいあまり、強い言葉冗長なツリーになり、見てる人に、※①のような解釈を生む余地を生み出しているようにも見える。

あくまで、これは僕から見た話。他の人のことは、知らない。でも、この順序固定批判派の人たちのツイを、怖いと思ってるような人のツイも、しばしば見かける。

・マルチプルミーニングな一文

翻って僕のツイの話。僕のツイでも若干文意解釈的に問題のあるツイートは見られる。

この方は古くから心の知れた知り合いで、元々国語が得意とのことで細かい説明をサボっても理解されるかもしれないと思い、説明サボっちゃったのですが、そのせいで、見事に僕がガセを教えてしまうとこまで話しそうになってしまったようです。
ここで出てきた言葉、「名前繋がりという訳ではないけれど、似たような名前だから変な風に、噂が伝わってしまったのかもしれない。」に出てくる解釈はひとつだけである。

①名前が似てるだけで、チョウさんがチャンさんを嫌っているという変な噂がどこかで発生して、それが流れてきただけかもしれない。

ただ、僕の発言には省略がいくつかあって、本来別のことを伝えたかったりする。

②似たような名前だから、(名前を通して)チャンさんの変な噂がチョウさんに流れてきて、それでチョウさんがチャンさんを嫌ってるのかもしれない。
名前を通してというのは、一般の人が名前でチョウさんとチャンさんを間違えて、間違えた人に罵倒してきたとかそういう話を言いたいのだけど、これには異議ある人もそれなりにいるかもしれない。。

さらにはかなり酷い深読みではあるのだけど、もう一つ複雑な読みもできないことはない。
③似たような名前だから、(名前を通して)チョウうううの悪い噂がチャンに伝わってきて、(それを元にチャンがチョウに変なアクションをかけて、それのせいでチョウがチャンを)嫌ってるのかもしれませんね。(そしてもしかしたら、両者はいがみあってるのかもしれない。)

これはさすがに深読みが過ぎるし、国語教育的には、そういう解釈を生む元の文章も、深読みした③の解釈も、曖昧で意味が取れないのでどっちもバツにするのが妥当なのだと思う。

僕としては、もらすさんの言葉を受けて、理由を勝手に考察したかったから、適当に理由を考えて返したつもりでいた。②と③どちらも何となくあり得るとその時点では思っていたけれど、もらすさんがどっちの解釈が自然に受け取れるかわからないので、②とも③とも取れるダブルミーニングな文章を書いて反応を見ていた。
もらすさんの話題に関する印象を把握したかったのではある。

えっと、何を見たかったのかというと、もらすさんは話題(チョウさんは頼もしい。刑務所に入ってからも立派に勉強している。)に対して好印象を持ってるのか、悪印象を持ってるのか?

話しかけに来たときに、理不尽な怒られが発生するのか、友好的な共感が得られるのかは、いくら仲のいいフォロワーさんと言えども、わかりにくい。

どちらにしても、敬意を持って対応して、失言を重ねないためにも、最初にさりげなくご本人の意向を測っておくのは割と気にしたいことだと思う。ただ、これは、さほど、大事なことではないさ。

ただ、この時、「伝わった」の主語と目的語を、両方とも省略したのが一番にいけなかった。話者の僕が想定していなかったような誤解が生じたことは大事。さらには、僕がこの文章で誤解を想定できていなかったのも結構大事。僕が訂正しなければ、チョウさんに関する新たな間違った噂を、僕が広めてしまうことになってたのかもしれない。

日本語はかくも難しい。省略記法は基本的に誤解の温床だから、皆さんは主語述語、目的語、代名詞での省略や言い換えの扱いにはよく気をつけて、細かく自分の言ってることを説明するような文章を書くことを心がけてくださいませ。

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