「忘れられない」=
「忘れられない人」は、これを読んでいるあなたにもいるだろう。
例えば、恩師、上司、友人、恋人・初恋の人、家族、推し……。
相変わらずの駄文だが、今回は、あなたにとって「忘れられない人」を思い浮かべながら、是非ご一読願いたい。
リンクは、著作権の関係で貼らないが、先日、pixivで某ドラマの二次創作漫画を見掛けた。
その漫画の台詞を要約すると、以下のような台詞だった。
望まない別離を経験したら、人はその相手のことを一生忘れられないものだけど、それは決して悪いことではない
その別離という過去や、忘れられないという現状も、またその人を構成しているから
それらを取り除くということは、その人をその人ではなくすということではないか
私は、この台詞を読んで、フジファブリックの「Green Bird」という曲の歌詞が頭をよぎった。
あなたを形成(つく)っているその全てが狂おしいほど焼き付いて
またいつか何処かで会えたなら あの日と同じように
ただ僕のそばで微笑んで いつまでも消えない残像
Green bird/フジファブリック
偶然にも(構成と形成で言葉は違っているものの)同じことを言っているのだが、私が気付かされ、考えさせられたのは、二次創作の太字部分だ。
今回は、この台詞1つとこの1曲(の1フレーズ)がよく似ていたので、2つを私の観点で読み解いていこうと思う。
まず、「望まない別離」の「望まない」とはどういうことか。
一方的に縁を切られた、病気や事故で亡くなった等が挙げられる。
その人と突然別れてしまう前、その人から何らかの影響を受けていたら、どうだろう。
例えば、物事に関する考え方、相手がハマっていて、自分も好きになったゲームや音楽。
相手がいなくなった後、永久的にやめてしまった理由が、「大好きだった(その世界の入口に導いてくれた)人がいなくなったから」だとしたら、「その人を思い出してしまうから」という言い換えにならないだろうか。
相手はいつも心の中にいるとか綺麗事や無理強(じ)いは言わないが、楽しんでいた頃の自身を思い出してほしいとは思う。
そして、自分にとって「新しい世界」を教えてくれたり、「物事の見方」を変えてくれたのだから、「忘れられない」理由につながるだろうし、それも「出会い」によって、「自分」を形成・構成した一部だろう。
では、その部分を「取り除いた」ら?
全てが崩れるとは言わないが、やはり以前からその人を見ているとしたら、何かが足りないとか、変わってしまったとさみしくなるだろう。
「その人」が「その人」ではなくなったりとか。
そもそも何故「忘れられない」のか。
それは、自分とその人の関係が深く濃い物であることが多い。
出会い、影響し、たくさん言葉を交わすからこそだと思われる。
笑い合ったことも、喧嘩したことも、「理不尽な別れ」が訪れたって、「親密な関係を持ってる者」として、自身の記憶に強く刻まれるだろう。
相手を大事に想うからこそ、傷付けたくなくて、大切なことも、言いたくて言えなかったことも、伝えられずにいるのではないかと感じる。
だからこそ、手紙とかの物品に想いを託したり。
そんな2人の強固な縁や絆に対し、第三者が軽率に「忘れろ」なんて言えるだろうか。
誰かにとっての「どうでもいい物(人)」は、相手にとっては、「大切な物(人)」で在り続けるというのに。
1つ例を挙げよう。私にとって「忘れられない人」の1人が、彼女だ。
以前、書いた通り、彼女は私と同じ同性愛者を自認していて、そのきっかけになり、「忘れられない」のが、「同性の幼なじみへの恋」だ。
告白したら、拒絶されてしまい、自殺未遂をするほど、自分が怖くなってしまったのだ。
それでも、私は、そんな彼女に、友達に恋心を抱いたかつての私を重ね、過去を理解し、恋・告白をした。
時が忘れさせてくれる訳でも、忘れないでほしいと強制するつもりもさらさらないけど、忘れなくて良い。
忘れられないまま前に進めば良いし、生きていてほしいのだ。
何故なら、幼なじみに出会い、恋心を抱いたという出来事こそ、「自分が同性愛者だ」という役割を持った、彼女を作成(つく)った1つのパーツなのだ。
そして、彼女は私にとって、私を形成(つく)った1つのパーツでもあり、必要不可欠なのだ。
上記のように、友達に恋心を抱いていたが、告白には至らなかった。
生来の内気、振られるのが怖い、「普通」から逸していると様々なデメリットを感じたからだ。
嫉妬だってしたし、他人にそんな意図もないのに自分の中で勝手に現実を突き付けられたような気にもなっていた。
今後更新する記事でも触れるが、少し前は何となくの違和感として存在していたが、自ら望んで抱いた訳じゃないので、現在進行形で「苦しい」と最近名前がようやく付けられ、嫉妬という「(自身への)静かな反抗」も「現実を突き付けられる(た)怖れ」や「他人と違うことへの悲しさ」も生まれたのだと自分の中で結論付けた。
そんなことを回顧(懐古?)し、さっきこの記事冒頭の2文を見て、彼女は私にとって、「忘れられない」人になるだろうという結論に辿り着き、彼女にとって私もそんな人であってほしい、そうありたいと願わずにはいられなかった。
ここまで長文を書いてきたのに自分でも何だかよく分からなくなってきたが、これ以上削ることも、加筆することも特になく、消す訳にもいかなかったので、この形で供養させてもらう。