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誕生日をこじらせている話

毎年の誕生日は、だいたい仲良くなる頃には終わっています。そして、次の年には忘れられてしまうのです。

誕生日って、成果でもなんでもなく「生身の自分」を祝ってもらえる気がします。個人的には、結構特別感というか、朝からそわそわしてしまうんだけど、その期待に反してほとんど祝われないというのが例年。(特に21歳から。)

「その人自身」をお祝いできる大切な日。受け取った人はどう捉えてるのかわからないけど、連絡したい人へはお祝いメッセージを送るようにしています。 誰かから連絡が来たら自分は嬉しいから。(ただし送った数と比べると、ほとんど私の誕生日には来ないと言ってもいいくらい…。)

最近は、誕生日にこんなことしてもらったってSNSにあげて、そこにおめでとうってコメント書き込まれるみたいなパターンも多いですよね。 連絡しにくい人とか、誕生日を知らなかった人とかには私もそこでコメントするけど、そもそもそんな風に祝われない場合はその投稿もできない…。

祝われたい期待と結果が伴わないことをそろそろ学習しているはずなのに、やっぱり期待してしまう…。ただ、ひとり暮らしになってからは祝われないことを見越して実家に帰るという選択肢を取れるようになりました。

6月はなんの休日もイベントもなくて、その月に誕生日でよかったと思うけれど、1年の中で一番切なくなる日でもある気がするのでした。

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