AIの現在地(2023.5)

AIの現在地というものを、2023年5月に書いたものを引っ張ってきました。

それから半年。
目まぐるしいほどに、日々新しい情報へと更新されていきます。

1年が100年ほどの変化のようで、まさに浦島太郎のよう。

それでも、この頃に書いた内容に対して、間違っていないなと思えました。

それは、人の役割についてです。

よかったら読んで見てください(^^)

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実感してる人、理解してる人など様々だと思いますが、改めてAIの立ち位置というのか、AIの現在地の実感周りのことについて書きます。

先に結論:
機械はツールから主体へ移行した

ぼんやりと思ってはいたものの、なかなか言語化せずにいましたので、改めてここで整理しようと思い記載します。
(厳密には、料理中に待ち時間が多くて書くことに💦笑)
上記結論で納得という方にとっては当たり前のことを書きますので、その際はご放念ください🙇‍♂️

1.画像生成AI
まずは、画像生成AIを例に書きます。
画像生成AIは、今では当たり前にハイクオリティなものが世に溢れています。
AI画像のみを扱ったサイトなんてのもあります(例:chichi-pui など)。
そこでは、日々たくさんの人が画像を生成したり、あるいは新しいモデル(生成の基となる学習済みソフトみたいなもの)を作成されたりしています。

「AIが自動で作ってくれるんだから、何も気にせずPCを回すだけでしょ?」

と思われるかもしれませんが、実際のところは、ものすごく手を取られます。

なぜって、出力結果に対して納得できなければ、納得できる出力結果になるまで工夫する(指示文を変えたり、パラメータを変えたり、その他諸々)ということを繰り返すからです。

そう、作る主体はAIであり、出力結果に対して、指示・工夫・納得するのが人という構図です。
これまで人か常に主体で、機械はあくまでもツールでしかなかったのが逆転してますよね。

つまり、職人としての作業者が人から機械に、編集や監督が人に、という感じですね。


2.小説生成AI
こちらも同じといえば同じなのですが、例えば最近話題になった「Cyber Rebellion」という小説をご存知でしょうか?
chatGPTで書かれた小説兼作成方法の本です(kindle unlimitedの方は無料で読めます)。

ここでも先程同様、何度も出力結果を工夫している様子が見られます。
特に現状では、chatGPT自体に、一度に出力できる文字数制限があります。
ざっくり内容を出力しようとすると、どうしても雑な内容が返ってきたり、ディープラーニングの性質上、王道でありきたりな内容が返ってきたりなどしがちです。

そのため、かなり緻密な指示出しが必要であったり、あるいはこまめに出力させる工夫(章や節などを分けて、今回はこの内容部分の出力とする、など)が必要となります。

つまり、0-100ではないものの、ある程度深く入り込まないことには、陳腐な仕上がりとなってしまいます。
ここにおいても、編集者という立ち位置ですね。
痺れを切らして、結局自分で手を入れて仕上げるなんてことにもなりがちかなと思います。
絵と違い、文字を書くこと自体は敷居が低いため、流行るのは参入障壁が高い絵の方ということになるのは当然とも言えますね。
(視覚的に入ってきやすいというのもあります。)


3.立ち位置について改めて
ここまでの通り、クリエーターという概念を分解しておく必要があるように思いました。

クリエーターは、アイデア出しから手を入れる工程、そして結果に対して「あーでもない」「こーでもない」と創意工夫を凝らしながら仕上げていきます。

この、手を入れる工程についてが特に、AI需要が増えていくところだと思います。
人により濃淡はあるでしょうが、アイデア出しについても、ある程度は役割を担うんだろうなと思います。
ですが、もっとこうしよう、あーしようという「判断」や「納得」ということについては、人がメインなのかなと思っています(あくまで暫定)。

もちろん、Baby AGIやAuto GPTのように、出力結果に対して自動でブラッシュアップしていくというのはありますが、質向上の役割は担っても、意図は介在していません。

そのため、AIが台頭してきて以降、人が持つ視野は、編集者や監督といった視点なのかなと思うようになりました。


4.それでも人がスキルを持つ必要は?
誤解してほしくないのは、人が手を動かすことを否定しているわけではありません。
人が一から作り上げることの尊さはもう、ほんと素敵だと思います。

ただし、それは作品が作者の元を離れて一人歩きした際には、結果がモノを言う世界なわけですし、既知の有名人というブランドは別にして、誰が作ったかに価値はありません(もちろん今後、手作りっていいよね、という一定の需要やコミュニティは存在するでしょうけど、メジャーにはなりにくいだろうな、という見解です)。

戻ってーー、人が介在するところは、編集者や監督と書きましたが、言い換えれば、「判断」をする役割ということになります。
判断するって、なかなかに大変なことですよね。
もっとこうしたい、ああしたいって、センスだなって思っています。
そう、判断するにも知識や経験がモノをいうのかなと思っています。
(ただ、画像生成AIを見ていて、絵の経験者と初心者に雲泥の差があるかというと、あまりそうとは言えなさそうですが、小説や、今後動画生成にまで及ぶとなると、かなり左右されるように思います。)


5.作りたい「何か」
AIは、主体に移行してきていると書きましたが、厳密には、作業者の主体という意味です。

そう、何を作りたいのか、何を形にしたいのかという「動機」は、AIには存在しません。

今後、あなたが何かを作るにあたって、力強い補助はあっても、内発的な「形にしたい何か」は、あなたの中にしかありません。
それは、単にアイデアにとどまらず、こだわりとか、やりたいこと、ですね。

個人的には、その「何か」を情熱を持って「形にしたい」と思える体力と経験(センス)を身につけたいなと思うようになりました。

インプットは作業になりがちだけど、もちろん大切。
でも、別のものでもいいから、アウトプットもちゃんとしていたいなと思っています。

今の自分に加えて、少し先の自分がやりたいことも含めて、ちゃんと「何か」を持つのは大事だし、素敵だなと思っています😄

そこにきっと、「判断」も影響してくるだろうと思っています。


6.終わりに
ここまで書いてきた「人間の役割」。
それはどこか、人間の正当化のように聞こえる部分もあるかもしれません。
そしてそれもまた、時限的なものという意見もあることだと思います。

個人的にも、いずれ、創作そのものが人の手から離れる未来が来ないわけではないと思っています。
それはいつのことかわかりませんが、もしその「いつか」が来た時には、もう「手作りコミュニティ」で、作ることそのものを楽しむ道楽に耽ればいいのかな、なんて思います。

でも今は、そしてしばらくは、AIを高次のパートナーとして活用して、自身の「何か」を加速的に形にしていけるといいのかなと思っています。

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