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ゆる保守トーク

はいどうもこんばんは、硫化鉄です。というわけでー。

ここんとこ、どうもnoteの更新を止めちゃっているなぁと思いたち、ちょっと新しいシリーズで雑文を書いていこうかと思います。

僕は昭和生まれの老人なわけですが、最近、すっごく気になっていることがあるんです。最近、と言ってもここ30年、40年の話なんですが。

日本ってこんなにギスギスした国でしたっけ?

「弱者に寄り添う」「多様性」「共生」などと耳当たりのいい言葉が躍るようになればなるほど、世の中の空気がギスギスしていっている実感があります。

なんでこうなったんだろう?

その原因は何なのか? このギスギスした空気をどうにかする方法は? ここでは、そんな事を考察していきたいと思います。

まぁタイトルでもわかる通り、僕は多分、保守的な考え方をしていると思います。と言ってもガチ保守って感じ…でもない。というのも、僕って「保守主義とは」みたいな事は全く考えたりしないんですよね。

なので僕は自分の立ち位置を「ゆる保守」と呼んでおります。


僕は子供のころから、すっごく苦手なタイプの人がいまして。その苦手なタイプっていうのが
「自分は常に正しい。自分と意見がぶつかる人間は全部間違っている」と信じて疑わないタイプ。
話し合いが話し合いじゃなくなり、最後には「反論のための反論」というレベルで言い負かそうとしてきたり、特に「自分が正しいと相手に認めさせるためにはどんな手でも使う」タイプですね。

子供同士の言い争いのレベルでは、周りの大人へのアピール目的で泣きわめいたり、大人になってくると泥仕合にもつれ込ませ、人格攻撃も含め、相手の心を傷つけることでその場の「勝利」を得ようとしたりする人たちですね。

今までの人生でこういう人たちにぶつかる事が多かったのも、僕がゆる保守になった原因の一つかも知れません。

子供のころの近所の友達の一部、若いころに学生運動をやっていた友人たち、苦情処理の仕事をしていた頃のモンスタークレーマー等々。

なんでそこまで自分が正しいと信じて疑わないんだろう。いや、あそこまでいけば、正しい正しくないは関係ないのかも知れないですね。

僕としては、自分個人の考えが絶対的に正しいなんて全く思えないわけです。だってたかだか一人の人間が、数十年の時間に見て経験した事だけで正しい結論なんか出せるわけないんですよ。
もちろんこれが100年続いた組織が考えた事でも同じです。

人類が、いや地球の生命全てが培ってきた、何億年にもわたる進化や進歩。その中に流れている叡智の方が圧倒的に優れているに決まってるじゃないですか。

人類だけに限っても、数万年にわたって築き上げてきた文化や慣習が、たかだか100年くらい続いた、たかだか数百人の集団の思い付きに劣っているわけがないじゃないですか。

何か新しい、正しいらしい事を思いついたとしても、その発想を、これまでの人類史の中で思いついた人間がいないと思えるのは、相当に傲慢なんじゃないかなと思います。

過去に何度も思いついて試されて、淘汰された思い付きである事の方が圧倒的に多いんじゃないでしょうか。

もちろん、文明の進歩により、前提条件が変わる事もあります。今まで正しかったものが、だんだん現状に合わなくなってくることもあるでしょう。

しかしだからと言って「これは俺の考えが正しいんだから全部こっちに変える」というやり方は危険でしかありません。

「自分は常に正しい。自分と意見がぶつかる人間は全部間違っている」と信じて疑わないタイプが台頭して、世の中を変えていってしまう事に危機感を覚えるわけです。

だから、何をやっている人でも、何を主張している人でも、「自分が一番正しい」と信じている人の事は、僕はノーサンキューですね。中には「自分だけが正しい」だけじゃなくて「だから俺以外のやつはみんな頭が悪いクズ」みたいな事を言ってる人を見かけると、控えめに言って虫唾が走る感じです。

なので僕は「ゆる保守」。現状に合わない所は試しながら少しずつ変化していけばいい。「この世の中を俺が変える!」みたいな人にはぜひ、ご退場いただきたいものです。

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