作ったゲームを遊んでもらうのは、もはや制作の一部かもしれない

ゲームマーケット2020春に出展する。これは申し込みをすませ、支払もしたので、する。が、実のところ、最初はあまり出展するつもりはなかった。なので、ダイスマンカラを初期にテストプレイしてもらった方々には、「ゲムマはどちらでもいいかなー」というニュアンスで伝えていた気がする。

なぜかというと、そもそも自分のためにゲームを作ろうと考えていたからである。この世界のどこにもない、自分で作ってやらなければ存在しないゲームを思いついてしまった。しかも、それは面白い。形にしてあげなければならない。だから、形にして自分で手に出来れば、あとは周囲の希望する人に頒布して、残りはネットサイトでゆるゆる売って捌こう。そんなことを考えていた。

ところが、テストプレイをお願いする際に、ほぼ必ず「ゲムマに出るの?」と訊かれることがわかった。

世の中にはゲムマに出たいからゲームを作る、あるいは絵ができたからゲームを作る、なんて人たちがいるようなのだ。想像はできるが、自分としてはゲームができたから出展する方がスムーズにいくのではないか、と思っている。実際には、複数個作って形にする、となるとまったくスムーズにはいかないので、どっちもどっちである。

それはさておき、何人かと話すうちに、むしろ同人ボードゲームならゲムマに出てみんなに広めてこそではないか、とも思うようになった。「ゲムマに出るの?」という質問は、「ゲムマに出てみたらいいんじゃない?」というニュアンスを含んでいることに気づいたのである。出展して欲しそうだし、そうしようかな、別にしないと決めていたわけじゃないし、みたいな(テストプレイしてもらった後は本当によく「ゲムマに出るの?」と訊かれる。出ないとなれば、じゃあこれどうするつもりなのよ? という顔をされるわけで……)。

楽しみというのは、結局のところ自分のためのものだ。しかし、ボードゲームは性質上、同卓した人と楽しみをシェアする要素が前面に出ている。やはり誰かと遊んでこそ、という一面がある。作ったゲームを遊んでもらうのは、制作の一部と言えるのではないだろうか。したがって、先述の質問が本質を捉えているかはさておき、少なくとも接していると言えるだろう。

いくら自分のために作っているとはいえ、それだけでは成り立たないのがボードゲームだ。遊ぶときも同じで、遊びたいから卓立てをするわけだが、一緒に遊んでくれる人がいなければ、そもそも成立しない。自分も他の人も、ゲームを成立させる大事なパーツだ。パーツが欠けていては、ゲームはちゃんと遊べない。

改めて振り返ってみると、どういう経緯であれ、ゲムマに申し込んでみたのは正解だったと考えているし、そう導いてもらったのは、ありがたいことである。


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