自分を出す事と『好き』を言う事
私は次女だ。なのに、なぜか幼い頃から長女のような気質を持っている。
昔から自分を出せないでいた。
周りの声に従っては我を殺し、好きなものを手放したり着る服やしたい格好も出来ないでいた。
結果、こんな優柔不断な大人になろうとは思っていなかったが。
成人してからもそれは変わらなかった。
ただ変わったのは、それに苦しめられることが増えたくらいだ。
「自分が自我を出さなければうまくいく」学生の頃はそう思っていた。
しかし、成人して数年たった今は「意外とそういうわけでもないのでは?」と思っている。
『?』がついているのは、まだ確信が持てないからだが……
たとえば……私はVtuberさんが好きだ。
Vtuberさんが好き……というより、他人の人生観を見るのが好きなだけだが。
コンテンツというのは、利用者のポジティブなアクションが多ければ多いほど長生きするらしい。理にかなってる話だ。
そしてその話はVtuberさんの発信するSNSでよく流れてくる。
所謂、「推しは推せる時に」というものだ。
Vtuber社会だけではなくどのコンテンツもそうだが、個人勢Vtuberを見ているとそれは良く感じるようになった。
何故なら私の好きだった方は、私が言葉に出す前にいなくなってしまったから。
私が自分を出すには、まだまだ何年も……下手したら何十年も時間がかかるだろう。
けれど、『好き』『楽しい』『ありがとう』だけは毎日でも言うよう心掛けている。
それだけの話