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糞フェミでも恋がしたい

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能條まどかによる実体験に基づいた糞フェミ恋愛小説「糞フェミでも恋がしたい」の連載まとめ
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#小悦

糞フェミでも恋がしたい (その9)

私の名は能條まどか。糞フェミだ。 糞フェミにだって幸せはある、たとえばいまこの瞬間がそうだ、幸せだ、大好きで大好きでたまらない男の子と、顔を突き合わせて、見つめ合っている、抜けるような白い肌に、金色のふわふわ産毛のような髪、くるくる動く、静かな柔らかい青緑色の瞳、申し分ない、奇跡と言っていい、だた問題は、その子が私のことを欠片も覚えていないということだ、いやもう死にたい、死のう、死ぬしかない。 ショックのあまり涙目でそう考えていると、綺羅君の母親が、略して綺羅母が、助け舟

糞フェミでも恋がしたい (その11)

私の名は能條まどか。糞フェミだ。 糞フェミだって運転免許は持っている、そうだ、身近に作れる密室といえば、車の中しかない、近距離コミュニケーションにも最適だ、なんか理由をつけて、綺羅君といっしょにドライブしちゃえば、後はどうにかなる、そう考えた私は、作戦を実行に移すのだ。 というわけで急遽カメラを購入した、そんなに値段高くないけど、レンズ交換の出来る本格的なヤツ、なんせ母親がカメラマンなのだし、もともと綺羅君の女装が可愛くて写真を撮ろうとして始まったことなのだから、私が綺羅

糞フェミでも恋がしたい (その12)

私の名は能條まどか。糞フェミだ。 糞フェミにも心の迷いはあって、ちゃんとした覚悟を持つには、それなりの決心を要するというか、心の圧力を要するというか、つまりいろいろ大変なわけなので、だから私がもうどうなってもいいや、って思うためには、いろいろな迷い道を通り抜けるだけの頑張りがあるのだ、だからそこをいっしょけんめい頑張って通り抜けて、その瞬間、その場所に立ったとしたら、それはもう自分で自分を褒めてあげたいぐらい誇らしいことなのだ、私が綺羅君の、つまり「あの綺羅君」の前に立とう

糞フェミでも恋がしたい (その13)

私の名は能條まどか。糞フェミだ。 糞フェミがどうした、糞フェミが悪いか、糞フェミだって愛されたいのだ、愛されて、愛されて、愛の中で死にたいのだ、いま、背筋を駆け上る予感の中で、耳に届く、声、まるでふいに夢の隙間からあらわれたように、私の前に立つ、「あの綺羅君」の声には、どことなく死の響きがあった、湿って、柔らかで、しっとりと、肌にまとわりつくような、甘い甘い、死の響き。 「ねえ。」 「…。」 「また会っちゃったね。」 「…はい。」 「せっかく離れてあげたのに…自分からやっ

糞フェミでも恋がしたい (その14)

私の名は能條まどか。糞フェミだ。 糞フェミでもめちゃくちゃにして欲しいのだ、私の身体を雌の欲望が突き抜ける、その欲望のままに、自由になりたいのだ、自由になって、ぶっ壊れてしまいたいのだ、綺羅君、綺羅君、綺羅君、綺羅君、心の中で、ねがいが渦巻きみたいになって、ぐるぐるぐるぐるぐるぐる、私を引きずり込んでいく、いい、このままでいい、このままどこへでも、行ってしまっていい、連れて行かれてしまっていい、圧倒的な存在である綺羅君になにもかもあげてしまっていい、私の欲望はそういう欲望。

糞フェミでも恋がしたい (その15)

私の名は能條まどか。糞フェミだ。 糞フェミだって時にはやさしくされる、やさしくされればうれしいのだ、雌なんだもの、それはうれしいのだ、私もうれしかった、綺羅君は、ふたつの玉から絞り出すように、濃厚で粘り気のある白濁を、何度も何度も、力いっぱいに発射すると、絶頂と興奮で息を切らせながら、彼の精液でぐちゃぐちゃになった私の身体を見下ろした、綺羅君の男性器は、射精を終えたあとも、まだひとしきり反り返って、反応を続けている、ああ、なんて男らしいんだろう、いいな、雄ってすごい、すごい

糞フェミでも恋がしたい (その16)

私の名は能條まどか。糞フェミだ。 糞フェミに明日はない、明日なんかあてにしていない、今日がすべて、今日に生きて、今日に死ぬ、そういう心で生きるからこそ、本当に真剣に生きられるんじゃないかと思う、中途半端な幸せで、中途半端に満足するぐらいなら、真剣さのために、真剣に求めるもののために、死んでもいいのだ、私は、死んでもいいのだ、綺羅君を自宅まで送り届けて、綺羅母にご挨拶して、あの母親だから、なんとなく勘付くところもあるだろうけど、でも許されている感じもして、雌の私は、それなりに

糞フェミでも恋がしたい (その17)

私の名は能條まどか。糞フェミだ。 糞フェミにも快楽は与えられてしかるべきだ、というか大自然の摂理は分け隔てはしない、どんな人間も、生まれて暴れて息をして喰って楽しんで苦しんで死ぬ、生まれながらに美人やブスの分け隔てはするけども、それは単に形状が違うだけのことで、それを見て良い悪いを決めているのは人間のエゴだ、いや、そんなことどうでもいい、私には快楽が必要なのだ、というか欲しい、綺羅君の男性器が欲しい、欲しい欲しい欲しい、欲しいのだ、生物はそういうふうに出来ているのだ。 山

糞フェミでも恋がしたい (その18)

私の名は能條まどか。糞フェミだ。 糞フェミだが恋する糞フェミなのだ、王家衛もビックリだ、恋がしたいと書き出しておきながら、恋とはなんなのか、いまだによくわかっていない、たぶん、世の中のほとんどの女は分かっていないのだろうと思う、それか、たぶん恋などというものはないのだ、情とか欲とか、それはぜんぜん悪い意味じゃなくて、人間の持ってる動物的で強力な感情が、ごちゃまぜになって吹き出して、心を縛り付けるとき、それをなんか適当な名前で、たとえば恋と、呼んでいるだけなのだろう、いま、私

糞フェミでも恋がしたい (その19)

私の名は能條まどか。糞フェミだ。 糞フェミだって大学生だ、都内の、カトリック教系の、まあちょっといい感じの四年制の大学に通っている、ちゃんと試験を受けて合格した、私はいちおう大学生なのだ、いちおうというのは、退屈で退屈で、あまり講義に出席していないからだ、サークル活動は頻繁にやっている、部室に顔を出している、もちろん、フェミやLGBTや、そういうのを研究するサークルだ、カトリック教系でLGBTってのもどうかと思うんだけど、まあそれが今という時代なんだろう、ともかく、私は無神

糞フェミでも恋がしたい (その20)

私の名は能條まどか。糞フェミだ。 糞フェミほど始末の悪いものはない、だいいち、心がねじくれている、ひんまがっている、コンプレックスに歪んで、人を呪い、禍をねがい、ありとあらゆる、いびつな欲望と傲慢と後悔と自己嫌悪に満ちている、しかし、それは同時に、純粋でもある、そもそも人間の心には、呪いも、欲望も、傲慢も、自己嫌悪も、すべてがもともとあるべき形で存在するからだ、糞フェミはたいてい、物心ついてから思春期を迎えるまでに、社会や家族や運命から、糞でっかいハンマーでぶっ叩かれて、ぺ