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「奇跡のコース」ACIMレッスン156
レッスン156のアイディア
わたしは、完璧な神聖さの中で、神とともに歩みます。
今日のレッスンのねらい
創造主の源、すなわち自分の源から離れずに歩む。
罪悪感についての真実をみる。
レッスンのポイント
この世界を源から離れて歩くことはできない。
罪悪感には、実際、根拠はありません。なので存在していません。
罪悪感とは神から離れたという感覚。
レッスンの具体例
次のように心に唱えるのもよい。
わたしは、完璧な神聖さの中で神とともに歩みます。
わたしは、この世界を照らし、わたしの心を照らし、神がわたしとひとつのものとして創造されたすべての心を照らします。
レッスンの進め方
1日の中で、何度でも、いつでも今日のアイディアを思い出す。
特に、数回は、心を落ち着けて、アイディアを反芻するとよい。
その時、自分の中にある、神のエネルギー、愛、光、神聖さ(これは同じことを意味している)を確信する。
まとめ
「奇跡のコース」が繰り返し、頻繁に述べられていることの一つに、わたしたちは、創造主である神の一部ということがあります。だとすると、わたしたちは、神なしには存在しないことになります。なので、この世界を歩くときも、一瞬たりとも、神と離れたことはないということになります。
神と分離したことがないので神と離れてしまったという罪悪感も幻です。
幻想のこの世界では、その罪悪感を元に、この投影の世界で様々な罪の意識を感じることができるようになっています。自我を教師にしながら・・。
ここで、今日のアイディアを明確にするためのヒントを紹介します。
わたしたちは「神」と聞いた瞬間に擬人化します。どこか遠くにいる「神」という存在をイメージしませんか。
そのようにイメージすると、「神」がわたしの人生をtakeする存在のように勘違いするかもしれません。ですが、「神」という表現は(何度も伝えていますが)愛のエネルギーそのものなのです。
「愛」とは、この世界の意味するパートナーシップ、家族愛などの根底にある好きという感情が発展したものとは全く別のものです。そう定義すると、憎しみや悲惨さの中に愛が存在しないことになってしまいます。(詳しくは別の機会に・・)
ここでは「神」とは、すべての創造主の源、愛そのもののエネルギー(それを神聖とも光ともいう)ということを再認識したいと思います。
どんなひとでも、誰でも内には、その「愛」「神」は存在しているのです。
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