見出し画像

「奇跡のコース」ACIMレッスン223

ゆるしの3日目になります。

レッスン223のアイディア

神は、わたしの命です。
わたしには、神の生命以外の生命はありません。

「奇跡のコース」のワークを学ぶガイドブック9 / ナチュラルスリット

レッスンの進め方

今日は、ありとあらゆるものの中に神を、とりわけ人の中に神の子を見続ける1日にします。
静けさの中で、父なる神のエネルギーとつながることを知っています。
静かな場所でないところから本当に何かを見ることはできません。
ホーリースピリットを受け入れて、静かな場所から神の子を見る練習をします。

今日のレッスンのヒント

生命とは、今日ここにある、この状態のことを指すのでしょう。
生命とは、名詞ではなく、変化し成長し、そして衰えていくものでもなく、神の内にある=神のエネルギーと共にある状態、そういうものなのでしょう。

今日のテーマ[ゆるしとは何ですか?](3/10)

ゆるそうとしない思いとは、判断を下し、その判断が真実ではないにもかかわらず、疑ってみようとはしない思いのことです。その心は閉ざされていて、解放されることはありません。


テーマのヒント

エゴのすばしこさを認めない限り、自分の判断を疑うのは不可能です。
エゴは、瞬時にジャッジし、正誤の判断を下しています。
ここにびっくりする真実があります。
わたしたちは、まず、①自分自身に対してジャッジし、ーこれは自分は完璧ではないというジャッジなのですがー②次にそれを証明するために、視線を巡らして、的確なものを選び焦点を合わせてジャッジをするというのです。
そこには、完璧でないものを見ることになります。そしてジャッジする。
わたしたちは、見たいもの、聞きたいものしか経験しないという力学を思い出しましょう。

今日の祈り

神から離れて生き、孤立し、何にも属することなく生の営みをし、
身体の中に住む分離した存在だと自分のことを思っていたのは間違いでした。

「奇跡のコース」のワークを学ぶガイドブック9 / ナチュラルスリット

まとめ

ここで、200以上続けてきたレッスンの初めの頃を思い出しましょう。
「わたしは何も知りません。どうぞ見せてください。」
「わたしは、本当を見ていません。」

ここをもう一度、真に理解する必要があります。
この言葉を、わかったつもりになっていて、実は少しも受け入れていないのかもしれません、「あ〜そうだった、そうだった・・。」
ここを自分のものにすれば、ゆるしに大きく近づくことになりますね。
本当を見るなら、罪は見えず、罰することもないのですから。
ゆるしとは、祈りと共にあって、罰でも、鞭でもありません。
限りなくやさしい愛の海であり、果てしなく広がる自由な大空のようなものなのです。:)

答えはあなたの中にあります

ここまで、お付き合いいただきありがとうございます♡

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?