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"裏切り"のバラッド

私は20代後半、自分の愚かさを恐れており、意図せず恩ある師匠を裏切ってしまいやしないかとビクビクして過ごしていた。
キリストの弟子は師匠を裏切らなければ自分の命もないというところまで追い詰められるが、そういう状況ではないし、ただの自戒だった。
自分の心の動きを見張っていた。私は勤勉さが足りず怠け者で、立派な弟子にはなれなかったけれど、裏切りのことはずっと考えていたよ。
大尊敬する人が無条件の信頼を寄せてくれるのだから、裏切らないよう心がけることは容易かったかもしれない。メンタルで行けなくなった時は、「これだけしてもらったのに裏切るみたいになってごめんなさい」と言ったら「そんなことないわよ」と優しい言葉が返ってきた。
あらゆる人に対して裏切らずに向き合える人になれたらいいのに。それは、対立しないとかそういう生ぬるい話ではないんだよ。
自分と向き合いながら、その人と向き合うということなんだ。
裏切りについて考えることは有益だった。10年以上が過ぎて、何が裏切りで、何がそうでないか、愚かな私なりに前よりはわかる部分もある。出来るなら子どもの頃にそういう事は知っておきたかったよ。けれども、わからなさ過ぎて、自分の愚かさに恐れおののきながら、こわごわと歩を進めるしかなかった。
その頃と比べても愚かさ度合いとか恐れ度合いは微々たる進歩しかないけれど、その0.1mmの微々たる進歩を尊く感じるのは確か。こう言うと、自画自賛と言われちゃうよね!まあいいや!
("バラッド"は、カッコつけてみただけw)

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