『逆も、また、真なり』 。 "棚ぼた人生"のつくり方 ☆

ときどき、思ってきた。
バカな自分、治らぬ自分。

日本国民としての義務教育は、受けたし、
親に負担をかけ、その先の教育も受けた。
いろんな本も読んだし、そのため大金も使った。
ネットも利用し、動画も視聴し、世界とヒトのありさまも見聞してきた。
しかし、振り返れば、実態は、世間という大きなカオスの渦のなかで、
その時々の訳がわからないことに突き動かされ、右往左往してきただけのように思える。
そして、今では、はかなく消えていった情報の残影が、かすかに揺れている。

開いた書籍などを、思いつくまま、少しあげてみる。
 自己啓発系では、「やればできる」
 人間関係系では、「ビジネスで使える孫子の兵法」
 人生論系、「人生の目的 :七つの定番(詳解)」
 能力アップ系、「2.6.2の法則で楽する」
 株式投資系、「株の極意: 動かすな! 」
 金運系YouTube "一目で金運爆上がり"
もっとある。
 「世界の歩き方(裏町ディープ編)」
 「死ぬまでには一度は行くべき世界の絶景500 スタンプラリー特典付」
   国別○体秘境写真集  
 「山手線一周ラブホガイド」
 「世界の億万長者の豪華プライベートサブマリン」
 スピリチュアル系、「悟るとは」
 科学系、ニュートン「無とは」
 都市伝説系、「よくわかるディープステイトの陰謀」
 宇宙人系YouTube "乙女座星人 チャネリングの教え"
 心の友系YouTube "江頭チャンネル" 

以上のほか、大量の情報を見て知って、今となっては思い出すことのない現在のありさまと、  mmmm@@@@@@@ 
読まなかった、見なかった場合のホットイフのありさまとは、
どんな風に違うんだろうか、、、
生きざまにどれほどの違いが生じるのだろか、、、

今でも、聖人君子には、縁がない。
立ち飲み"ジェントルマン"は、馴染みになった。
自分のどの断面をとっても、IQも偏差値も変動はないだろう。
依然として、自覚性バカである。

こんな現状でも、生きていくとき、この頭をやむなく使う。
真剣に書いた買い物メモを持って出かけても、買い忘れに気づかず、
意気揚々と帰ってくる。
家を出るとき、充電中のスマホを忘れる。
予備をバックに入れておいたはずなのに、マスクを落として、
高値買いを繰り返す。
退社時、ビルを出た瞬間、頭が冴える。
リモートワークで、Zoom切ると、頭のなかもフェイドアウトする。
ピザ屋のメニューで、いちじくピザを見かけると、絶対旨いはずだ、
と注文する。
大概、二切れ目には、マルガリータにしとけばよかったと後悔する。
田舎での幼児体験から脱却できない。
毎日そんなことばかりだ。
全くスマートでない。
自分自身が楽しめない。

そんな日々の苦労を超越したい。
人生、楽しみたい。
"楽チン"にいきたい。
楽するには、何をおいても先立つものが必要だ、とフツーに考え、
宝くじ系YouTube "これであなたも大当り" をクリックしたり、
会社にバレずに何ができるか、ネットで調べたり、
高時間給バイトから高収入転職、はたまたヘッドハンティングさえ視野にいれ、ネットサーフィンに時間を費やす。
結局、同じところをぐるぐる回り、楽になるどころか、
悩み苦しみは、深くなり、元気がなくなる。
こんなミットモナイ事態を、他のヒトも経験するのだろか。
もしかして、普通でないヒトは、こんな事態にはおちいらないのだ、きっと、、、
ならば、普通のヒトのフツーの発想を離れて、
普通でないヒトの発想を真似れば、新展開があるのではないか、
と思いつく。

そして、頭の隅にこびりついてる、成功者と言われるヒトたちの生涯の記憶の断片に導かれ、
"たまたま" の 棚ボタこそ、人生の極秘事項であり、"楽チン"人生の定番の事象だ、と知る。
著名な創業者、発明家、ビジネスリーダー、成功哲学者と言われるヒトの自叙伝、書籍、都市伝説等によれば、
その成功の元となった出来事は、どれもこれも似たようなものだ。

そのヒトたちの成功体験の道を遡っていくと、
「たまたま、引き立ててくれるヒトがいたから、、、」
「たまたま、時代の流れに乗ったから、、、」
「たまたま、会社の方針が変わったから、、、」
「たまたま、奇特な出資者が現れたから、、、」
「突然、アイデアが降ってきたから、、、」
「なぜか知らないが、バカ売れしたから、、、」
「出会いのタイミングが、互いに良かったから、、、」
というようなことに出くわす。

そうであるならば、この普通でないヒトたちの "たまたま" の道に学び、
習い、彼らと同じ世界、事象の平面で人生を生きたらよいのだろう。
つまり、成功の喜びを、今、事前に、想像し、頭に入れ、その香りを身にまとい、日々 "楽チン" に過ごしてしまう、ということだ。
 成功者に起きる "たまたま" の事象 ⇒ "楽チン"な人生"
ならば、『 逆も、また、真なり』である。
 "楽チン"な人生 ⇒ 成功者に起きる "たまたま" の事象の発生
同じこの次元世界の、回る事象の平面なかで、抵抗なく生じるイベントを体験するというこだ。

「三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、・・・」
と、孔子は、のたまった。
志を掲げたら、惑わず、"たまたま" の道を突き進み、"たまたま"の天命を知れば、ことはなったも同然ということだ。その後は、もろもろの制約から解放され、自由自在の境涯に至るということだ。
古人の言は、"たまたま" の道を進むヒトの成功プロセスを示している。

だから、日々何事も、明るく、"楽チン"に、笑って生きる。
そして、成功と幸運に恵まれた人生を歩むヒトとして、
躊躇なく突き進んでいく。
すると、そのエネルギー、魅力、芳香に引き寄せられて、
"たまたま" の事象が、後ろから、息せききって追いかけてくる。
「愛すべき友よ、待っていてくれたね、、、」と肩をたたいてくる。
頭上で、スポットライトが輝きだす。
"たまたま" は、つかまえた現実を否が応でも引っ張り始める。
大いなる成功と"楽チン"人生への全面的な切り替えと変質だ、変容だ。
間違いない。
今を楽しんで、笑って暮らそう。
『逆も、また、真なり』
"たまたま" の 棚ボタ を味わおう。
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