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作家として始動するのに学歴や賞歴は必要か?

前回の続き。
私は、母の小さな店を手伝い、時計作家の活動もしていたころ
手芸店でハマナカのフェルト原毛に出会った。

当時はちょっとしたフェルトブームで、テレビや雑誌で作り方などを知ることができた。
私は、その聞きかじった少しの情報をもとにお菓子の缶でコースターを作ってみた。
それが私の初フェルト作品である。

その後、ディスプレイのためにバッグや帽子などを試行錯誤、独学で作るうちにお客様が徐々に付き、気づけば思いつく大抵のものは作れるようになっていた。

私は自分の作品を自分で売っていたし、お店の存在がクレームがあっても逃げられない状況を作り出し、それによってお客様に育てていただいたと思う。
おかげで作品の強度やフェルト自体のクオリティが高くなったことは確かだ。

ある日、常連のお客様が絹オーガンジーのフェルトストールを負けてくれという。
それは、原価がとても高く、市場調査では大体2万円から3万円で販売されているようなものだった。それを私は6000円で販売していたのだが、高いというのだ。
これ以上安くしては原価割れしてしまうので一度お断りした。
すると、お客様はこう言ったのだ。

「あなたね、20代で美術大学も服飾系の学校も出てない、賞を取ったこともない、有名な人に習ったわけでもない、そんな人が作ったものにこんな値段付けていいと思ってるの」

その瞬間は驚いたのだが、よく考えてみれば、その条件のうち一つでもクリアしていれば同じものを市場価格で販売しても妥当な金額だということだ。
その条件はすなわち作品に対する補償に値するという事なのだと分かった。

私が今すぐにできそうなのは、専門学校に入るということだと思った。
ところが、そこで大問題が起きる。

フェルトが何に分類されるのかわからない

何の学校に入ればいいのか分からなかったのだ。

インターネットもそれほど普及してないころだったから調べるのに時間がかかったが、
フェルトはテキスタイルに分類されるらしいと判明。
すると、通学範囲内に夜間部のある学校を見つけた。
今はなき、大塚テキスタイルデザイン専門学校である。

その学校に入れば作家としての資格を得られると、その時は思っていた。

続く

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