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「鬼滅の刃」炎柱 煉獄杏寿郎の母の願いは呪いなのか?


「弱き人を助けることは強く生まれた者の責務です。責任を持って果たさなければならない使命なのです」

「天から賜りし力で人を傷つけること、私腹を肥やすことは許されません」

「決して忘れることなきように。」


煉獄杏寿郎は最期まで母の言葉を守り抜きました。

煉獄杏寿郎の生きる指針となった言葉ですが同時に呪いだったのかもしれません。歴代炎柱の家系ですので跡を継がなくてはならない。父親である煉獄槇寿郎は柱をリタイアし、煉獄杏寿郎が意志を継ぐしかなかった。

本当に自分の意志だったのだろうか。歴代炎柱の家系、父親のリタイヤ、母親の言葉、そして自分が継がなければ、責務から逃げ出せば、弟の千寿郎にその役目、期待がのしかかるのは目に見えている。

自分が継がねば、自分が弟を守らねば、母の言葉を守らねば、

煉獄杏寿郎は最期の最後まで私たちのまでは泣き言は言いません。涙もみせません。どこを見ているかわからないと炭次郎に指摘されるシーンがありますが煉獄杏寿郎は前だけしか見ていない。

夢の中で

「千寿郎お前は俺とは違う! お前には兄がいる兄は弟を信じている. どんな道を歩んでもお前は立派な人間になる! 燃えるような情熱を胸に頑張ろう! 頑張って生きて行こう! 寂しくとも!」

そのように千寿郎に話すシーンがありますが、このセリフを読み解くと、千寿郎には兄がいるが、杏寿郎には誰もいない。兄である杏寿郎を信じてくれる母はもう居ない。炎柱になる以外の道は自分にはない。心を燃やして、歯を食いしばって生きていこう!寂しくとも。そんな風に何度も映画館に足を運んで夢のシーンを観ていると最初は千寿郎を励ましているシーンだと思って観ていたものが、千寿郎の姿をした自分=杏寿郎自身を励ましている、奮い立たせているように映るんですよね。

それを魘夢の血鬼術による見たい理想の夢として見ている杏寿郎。

千寿郎に伝えられなかった言葉なのか、自分自身を鼓舞する為なのか、そう考えるとあまりに苦しい。辛いですよね。


鬼滅の刃「無限列車編」の特典第3弾でいただいたパンフレットの日野さんと石田さんの対談の中で煉獄杏寿郎の無意識領域が焼け野原だという表現がありました。煉獄杏寿郎の強い意志の表れとしか最初は観てませんでしたが、母のいいつけを守るため、弟を守るため、父の代わりに炎柱の責務を果たすため煉獄杏寿郎のそれ以外の可能性を燃やし尽くした世界なのかもしれないと、対談を読み終えて感じました。

そこに煉獄杏寿郎自身は無い。その想いは意志は自ずから生まれでたものでも無い。それは宿命と呼ぶかもしれないし、そのように生きなければならないという呪いなのかもしれない。

私の好きな別作品のFate/stay nightの主人公である衛宮士郎と生き様が重なるのです。衛宮士郎は衛宮切嗣に命を救われたことにより、正義の味方として生きることを決意します。それは衛宮切嗣の最期に約束した「俺が代わりになってやるよ」と衛宮切嗣が衛宮士郎を救い出した時の「あまりにも幸せそうだったから」自分自身は空っぽで他人の為に命をかけて戦います。1つの結末としてその道を進んでゆけば無残な最期が決定していることを衛宮士郎に伝えるのですが、それでも衛宮士郎はそのままの道を進んでいく。そんな1つのラストがあります。

煉獄杏寿郎も衛宮士郎も、そして我々も親の願いをこの身に受けて世の中に生を受けたはずです。親の願いが強すぎるあまり、その言葉は空っぽの自分を包み込み、与えられた人間の人生を固定し、逃げられない宿命を背負わし、決まったレールの上を走らせているのかもしれません。

それでも

「俺は俺の責務を全うする!ここに居る人間はだれも死なせない!!」

自分自身をかえりみない利他的な行動で前に進む煉獄杏寿郎に涙するのだと思います。


「おれはちゃんとやれただろうか」

「やるべきこと 果たすべきことを 全うできましたか?」


「立派にできましたよ」



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最期の笑顔は全ての責務から解放された安堵と母に褒められた嬉しさ



映画のラストシーンの親方様のセリフ

「二百人の乗客は一人として死ななかったのか」

「杏寿郎は頑張ったんだね 凄い子だ」


これは本当ならば父親に言ってほしかった言葉なのでしょうね(涙)


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