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父の命日

今日は38回目の命日
死体検案書によると朝の5時半頃が死亡推定時間で、今朝はその1時間前から目が覚め、38年前を想い起こしていた。
家の前に停めた車の中で死んでいた父
ベンチシートのワンボックス車だったために、助手席側に倒れていても外からは見えなかった。
車の鍵はハンドル横の鍵穴には挿さらず、アクセルの前に落ちていたから、おそらくは車のドアを開け乗り込み、シートに座り鍵を挿そうとしてそのまま逝ったのだと思う。
車はビニールシートで、父は心臓が悪かった。
10月末、北海道の朝は冷える。

その日の朝、私は仕事に間に合わないかもしれないと焦っていた。
バスでの出勤を諦め、車で行こうと決めた。
朝食も摂らず車に乗り込み、「父の車を躱して」家を出た。
そのとき、既に父の車はないという思い込みのため、父の車は認知の外にあり、車の中にいる父には気付かず出勤したのだった。
このことで妹から「お兄ちゃんのせいでお父さんが死んだんだ」と、長い間随分と詰られた。
「38年前の今夜」こそ、葬儀を取り仕切っていただく職場の先輩達との打ち合わせを済ますと、お参りに来てくれた同級生と呑み、父の横で寝た。
明け方妙に冷たい感覚で目を覚まし、隣にいる父が死んでいるのを今更ながら悟った。
38年前は葬儀社の職員が司会をするでもなく、まだ当たり前に喪主が参列者に挨拶をしていて、翌日私は喪主の挨拶の原稿と、父親と一緒に栃木から逃げて来た女をどうするかを考えていた。
どこか他人事のような母、少し殊勝な感じに見える父の女、泣いている妹
皆を笑わせようとしている私
あれから38年
いろいろありすぎていろいろ思い出したくもなくて、それでいて懐かしい
私はこの世で許せない人間が4人いるが、何故か今夜はその4人にも、幸せな時間があれば良いと思っている。

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