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240212(再訪)アンデックス修道院 聖ニコラスとエリザベートの巡礼教会


1423 年に遡る巡礼教会
特徴的なオニオンドームは、海抜 700 メートル、「聖なる山」の最高峰にそびえ立っています。インテリアはロココ様式の宝石であり、そのアートワークの大部分はヨハン・バプティスト・ツィンマーマンによって作成されました。

アンデクス修道院は15 世紀に設立され  、1455 年以来ベネディクト会修道士が住み、働いてきました。修道院は 1669 年に再建され、1755 年にバロック様式になりました。アンデクス修道院の精神的な中心地は、バイエルン州最古の巡礼地とみなされています。修道院は教会税からの補助金を受けていないため、自身の醸造所からの収入に頼っている。

2度目の訪問。前回はグループでビアガーデン目当てで
ビールで有名すぎる観光地
先日訪ねたラッソ伯爵の流れとバロック教科巡り視点で再訪
バスでの訪問もはじめて
修道院の教会は、1755年の創立300周年を記念して現在の姿になった。
ベルンハルト・シュッツ修道院長(1746-1759)のもとで
ミュンヘンの煉瓦職人ロレンツ・サッペルによって、
まず東側の一対の自由柱が打ち抜かれ、平らなドーム型の丸天井が設置された。
ヴェッソブルン出身のヨハン・バプティスト・ツィンマーマンは、
後期ゴシック様式の広間を漆喰とフレスコ画で覆い、側廊も改築した。
ヴァイルハイムの彫刻家フランツ・クサヴァー
シュメードルは新しい優美な祭壇をデザインした。
ミュンヘンの宮廷彫刻家4つの側祭壇を作ったヨハン・バプティスト・シュトラウブは、
主祭壇に彫刻を加えた。
傍祭壇にはカールオルフのお墓。前回はミサの最中でたどり着けず
アンデクスの聖天
お目当てにヨハンバプテストツィマーマン

恵みの祭壇の上にある天井のフレスコ画では、「アンデクセル ヒンメル」の中で、祝福された聖人たちが 3 つのホストの聖体台の周りにグループ化されており、彼らはアンデクスとその歴史に非常に異なる方法で結びついています
JBZはほかの作品が華やか過ぎて教会の暗さのためかこちらはイマイチ乗れない
フランツ・クサヴァー シュメードル
やはり礼拝狙いですね
復活祭前…絵画は閉じられたまま

15 世紀前半に、身廊と側廊のある柱廊式ホール教会として建てられました。長さ 31.5 m、幅 15.15 m の空間には、4 つの区画、聖歌隊席、身廊部分があり、これらは互いにシームレスに融合しています。身廊と側廊は、高さと幅がほぼ同じです。柱の横に独立して設置された側祭壇により、教会内外を問わず、聖遺物の周りを歩くことができます。教会を囲むギャラリーは壁の半分ほどの高さにあり、東側の聖歌隊、側廊、修道士の聖歌隊、西側のオルガンとつながっています。さらに 1751 年には、ミュンヘンの石工の名人、ローレンツ・ザッペル (1705-59) が東側の 2 本の柱を取り除き、皿型のドーム屋根を設置しました。1755 年までに、宮廷の漆喰職人で画家のヨハン・バプティスト・ツィマーマン(1680-1758) は、漆喰職人のジョセフ・マリアン、ヨハン・ゲオルク・ユーブラー、フランツ・クサーヴァー・ファイヒトマイヤー (小)、そしてツィンメルマンの息子フランツ・ミヒャエルとヨハン・フィリップ・ヘルターホフ (画家) とともに、中世の教会を活気あるロココ調の空間に作り変えました。中央集中の傾向は、壁画やギャラリーの絵画の周囲の配置によって強調されていますが、同時に、劇場の翼のような脇の祭壇の配置、ステージのような主祭壇エリアに向かって増加する光、柱と丸天井の配置、天井のフレスコ画のテーマの展開によって相殺されています。オルガン ギャラリーの修道士の聖歌隊の孤立は、修道院のあらゆる特徴ですが、内部を 2 つの部分に分割します。この分割は周囲のギャラリーによって示されます。下側のエリアは巡礼教会で、一般に公開され、上側は修道院教会です。

これは絵画プログラムにも示されており、狭い場所から生じるスペース不足の解決策でもあります。
復活祭まで塔は閉まったまま→以降は開く?
グラフ伯爵さんでしょうか
ラファエル前派のような雰囲気の絵
高祭壇の聖ニコラス  ヨハンバプテストストラウブ
聖エリザベス こちらもシュトラウブ
(やる気なさの撮影ばかり…やっぱり再訪リベンジです)
バス停では関西人の男性が大きな声で電話中…
小雪も降ってきました
一時帰国前の教会巡り閉めでした。
気になった教会




帰りはシュタンベルグ駅から小雪もやんで光が美しい


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