ギュンツブルク (ドミニクスツィマーマン教会3位 Frauenkirche Günzburg)220422

画像1 【ドニミクスツィンマーマンおそらく自分の中で3位の教会。少しずづ加筆していきます】マリアへの受胎告知を描いた聖歌隊席の中央の天井画と、喜びのロザリオの場面を描いた小さな絵は、アントン エンダーレによって油彩で描かれました。天井画や身廊のギャラリー絵は彼のフレスコ画として制作されました。身廊の大きなフレスコ画には、「アントニ・エンダーレ・ピンクス。1741」であり、マリアの戴冠式が主題となっています。その光景は、雲の上に座る聖人や殉教者、聖書の人物、宗教高官や修道会の創設者らの群衆に囲まれています。
画像2 バイエルンチケットで訪問。駅から少し歩くといかにもというバロックの建物が確認できる
画像3 少し坂道を歩く。これからドミニクスツィンマーマンの作品に出会えることのワクワク感が止まらない
画像4 バイエルン?ミュンヘンの歴史的建造物
画像5 教会は 1735 年の大火で焼失し、塔の下部のみが生き残りました。1736 年、市は新しい教会の建設を決定し、ウェッソブルン派の最も有名な建築家の 1 人であるドミニクス ツィンマーマンに教会を委託しました。1741 年までに、スタッコと塗装を含む聖歌隊席と身廊が完成しました。資金不足とオーストリア継承戦争 (1740 ~ 1748 年)の結果、作業は中断されなければなりませんでした。祭壇と説教壇は1757 年まで設置されませんでした。
画像6 主祭壇は1736 年にドミニクス ツィンマーマンによって設計されました。上部は 1757 年にテュルクハイム出身のIgnaz Hillenbrandによって作成されました。マリア・テレジアの二人の息子である二人の王子ヨーゼフとレオポルドが絵の下部に示されています。彼らは帝国の威厳において彼女の後継者となるはずだった。主祭壇の中央には、彫刻家クリストフ・ロット作とされるマリアの七つの悲しみの奇跡的な像があります。光の輪の中にあるマリアが描かれており、彼女の心臓は7本の剣で貫かれています
画像7 合唱団の二重柱
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画像9 イグナス・ヒレンブランド→https://de.wikipedia.org/wiki/Ignaz_Hillenbrand イルゼー修道院の船の説教壇の作者だったとは・・
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画像11 この天蓋!ドミニクス(JBも) ツインマーマンの一番心ときめくところ
画像12 レパントの海戦!歴史で習いました
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画像15 もう一度振り返る
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画像19 Günzburg の街並み 復活祭の飾り
画像20 塔の近くまで行ってみる
画像21 こちらのパン屋でお昼ごはん
画像22 路地に入り観光案内でバロックの本を購入。
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画像28 ドイツの仗助が映っていた
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画像30 もう一度教会に戻り教会ガイドを購入。ガイドが見つからない!また後日加筆予定

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