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ボケた母が楽な理由 <在宅介護生活まとめ その2>

ボケた母が楽な理由
<在宅介護生活まとめ その2>

母が病院から家に帰ってきて
約2ヶ月

これまでの変化を
まとめておこうと思う

の、その2

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<After>
ー今の母の姿はとても自然だー
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そもそも
ワタシノ母に対する認識が
「哀れ」な人であった

(詳しくは、その1で)

■積み上げたものが、失われていく
■衰退している
■忘れる
■覚えられない

それは、哀れ

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ほんとにそうだっけ?
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と、感じる瞬間があった

自分自身が
「そうあらねばならぬ」と

目を背けたくなる
恐怖を感じるくらいに
強く思っているからこそである

※これを思い込みという


○ワタシは、成長し続けなければイケナイ
○ワタシは、一度手にしたものは失いたくない
○ワタシは、積み上げた過去をなくしたくない

だからこその


■なんとか、前の母に戻したい
■「どうしてこんなことに?」過去の後悔
■「このままでは、、、」未来の心配

つまり
過去と未来にしか思いは向いていない


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今をそのままに受け入れられない
今をそのままに感じられない
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おかしーなー
「今を生きる!」のが理想だったはずなのに、、、
と、思う



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私は、今、どう感じているのだろう?
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肌で感じる

(知識や思考でなく)
(感情の処理や、切り替えでもなく)
(ものごとの捉え方やテクニックでもなく)


そして、今

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私の母に対する認識
ー今の母の姿はとても自然だー
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それから
それから

ワタクシの母に対する認識
(母に貼っているレッテル)が
変わっただけで

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哀れな人→今にしか生きられない人
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ずいぶんと二人の間の
エネルギーの質が変わった

もちろん
イラツクことは起こる

そして、実際に怒ることも起きる


だが、そこに
以前のように、粘着した

いつまでも
肌にべっとりとくっついて離れない
カンジは無くなる


今、その時に
それは起こり

さらーっと流れていく

ただ「今があるだけ」

・・・・

毎晩、毎晩
母がベットに入る時に

「さー、飯食ったから寝よー」
「そして、起きて」

「また、もぐもぐ飯食って、グーグー寝よう」

ワタシは言う


「それしか出来ないやー」と
母は笑う
ワタシも笑う

かなり長い間
「二人で、えへえへ笑っている」


なんだか
そーいえば、

生き物なんて
「それしか出来ないのである」


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