too kindの前提にあるもの

FEIS運営のばしょうです。

教育者に限らず、

その人以上に、その人のことを思って接してくれる人っていますよね。

以前、顧問の佐藤先生から教わったことで、教育者に必要な3つの資質の一つに、

Be too kind おせっかいくらいがちょうどいい

というものがあるのですが、

これって本当に、労力というか、根気というか、かなりエネルギーのいることだな、と思います。

僕は、同志社大学の神学部に通っているのですが、

その中で実践神学という学問があるんですね。

牧師さんの仕事の中には、説教者としての仕事があります。

説教と言うのは、聖書の言葉をその人に合った形で伝える事です。

キリスト教的世界観では、

聖書に書いてあることは神の言葉として絶対的なものとされているのに対して、人間は原罪を背負った不完全な存在であるので、

そんな人間が、神の言葉を完全に伝えるなんてできないんですね。

それでも牧師さんは、相談に来た人に対して、

なんとか必死にその神の言葉を伝えようとするのです。

これを不可能の可能性と言ったりします。

なんとかして、目の前の人に伝えないといけないのです。

これは、なかなかできることではありません。

too kindにならざるを得ません。笑

自分が高校生や浪人生に何かアドバイスする時でも、

これまでの自分の人生経験、聴いた話の中でしか答えることができないのです。

これは本当にもどかしいことです。

でも、その不可能の可能性の中で、
Be too kindという在り方で接することが、教育者への道なんだなと思います。

それでは、ありがとうございました。

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