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見えないものと見えるもの

「日本人は、人のお金は盗むことは悪いことだと考えているのに、人の時間は平気で盗む」という主旨の文章をどこかで見ました。

確かに、欧米の映画などを見ていると、誰かに話しかける時、その人の時間を借りる許可を取るとか、その注意を向けてもらってありがとう、みたいなセリフに出会い、他の人の時間を尊重していると感じます。

「時は金なり」とは誰でも知っている言葉。

お金が大事なのはよくわかる。それは形があり、目に見えるものだ。形は変化しない。それに、その効果もはっきりしている。異論はない。

しかし、それだけでは足りない。お金以外にも大切なものがある。それが時間だ。冒頭の文章はそのことに気づかせてくれる。

時間。それは人が自分で使える時間だ。人はその時間を使って、自分で考え判断したり、人生を味わったり、未来に向けた行動をしたりする。

その時間は、「見えないもの」の一つだ。「見えないもの」は、その大切さを人に理解してもらうことが難しい。だから、「時は金なり」という言葉も、そのことを教えているのではないか。

他にもお金に注目しすぎて見えなくなるものがある。「お金以外のすべて」。お金は天下の回りもの。お金は交換によって人々の間を流れている。だから、お金を得るには、基本的には、「お金以外のもの」と交換しなければならない。つまり、お金以外の何かで他の人が欲しがるものを自分が持っているどうかがポイントになるはずです。

言い換えれば、お金を持っていなくても、お金以外のものの中で他人に必要なものを持っていればいつでもお金に交換できる、というわけです。もちろん、そうした中には、自分で作るものも、あれば身体を使ったスキルや技能、知識も含まれます。愛も含まれるでしょう。愛とは、他者に対する思いやりといってよいでしょうか。

ともかく、お金のほかにも大事なものはある。

「見えないもの」、そして「見えるもの」と「見えないもの」との関係という視点で、世間を見ると、いろいろなところで見える所ばかりに気をとられて、それ以外のものが軽視されているシーンが浮かび上がってきます。

最近、周囲の会話や、テレビ・新聞などでの会話を聞いていると、どうも何かが欠けていると感じることが多いのですが、これも、「見えるもの」だけに注意がいっていて、「見えないもの」が軽視されている、と私には感じられます。

例えば、政治家が、法律には抵触していない、ということを言い訳に道義的責任を軽視するようなことが新聞に載ることがあります。これなどもその延長上にある。倫理や道徳はいわば「見えないもの」に属する。倫理や道徳が「見えないもの」だとすると、法律は「見えるもの」と言える。つまり、これも「見えるもの」だけがすべてで、見えないものを軽視していることと私にはみえます。

また、日本では科学技術立国ということで、多額の資金が投入されていたにも関わらず、今だに、開発力の後れを指摘されています。ここで、「見えないもの」とは、考え方であり、組織や教育のあり方であり、人文社会科学や理論系科学などのいわゆる基礎分野の扱いなどです。

特に、基礎分野については、すぐに役に立たない、実際の役に立つかわからない、という心理で軽視されます。また科学技術分野でも、相変わらず海外で形になり承認されたものを移入しようとします。目立たず見えない部分は海外にまかせてそこで形になったものだけ真似すればよい、と考えているようにさえ見えます。そうした見えない部分というのは、確かに、不確実なもので、当座の安心安全を求めることはできない、またすぐに実用に供することもできません。そういう分野に資金を投入するのは優先順位が下がる心理も分かります。

しかし、そもそも創造力というのは、まだ形になっていないものを形にして見えるようにする力と考えることができます。最近の日本が、個人としては創造力がある人が少なくないにも関わらず、社会的・国際的には、停滞が指摘されているのは、見えない部分の重要性が社会的に認知されていないからではないかと思います。社会全体を挙げて目立つ部分にばかりエネルギーを集中しているように見えます。
果実を実らす土壌を豊かにしなければ独自の果実を得ることは永久にできないはずです。

現実の世界においては、「見えるもの」があればその周りには必ず「見えないもの」がある。

そういう視点を、世間を見るときの補助線にすると、さまざまな気づきと展望が開けてくる。私にはそう思えます。

(補) 
 現実の世界においては、「見えるもの」があればその周りには必ず「見えないもの」がある。この点については、別の機会にあらためて考えたいと思います。
 なお、ここで、「見えないもの」と言っても、幽霊や心霊現象のことではありません。見えないが感じることができるものという意味だ。誰でも感じることはできるのだけれど、一定の形になっていない。そういうものです。


 



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