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天鳳と比嘉秀仁と私

最初に断っておく。比嘉さんと私は知り合いでもなんでもない。むしろ、私が一方的に知っていて且つ満更でもないと、ほのかな慕情を寄せているだけの関係である。

どうでもいい話はさておき、先ずは天鳳について語っていこう。世にインターネットが広まり、そしてネトゲが広まっていった。私はDiabloなんかを夜な夜なやっていたと思う。
そして当然の成り行きとして東風荘に手を出した。正直なところDiabloが先か東風荘が先かははっきり覚えていない。
その頃、東風荘にはとつげき東北がいたがどうでもいい話だ。私はといえばそこで好成績をのこし、自らの麻雀力を過信しつつあった頃だ。
そしてついに天鳳がリリースされたが、しばらくは東風荘をやったり、ネット麻雀から遠ざかったりしていた。
東風荘が廃れ始めたのはいつ頃だったのだろう。いつの間にかネト麻といえば天鳳という認識になった。そして私はといえば、いつの間にか天鳳の東風速を打っていたはずだ。当然のようにそこでも好成績を残し、七段になったらまたアカウントを作りなおすという無駄な作業を繰り返していた。
ここでエポックメイキングな出来事が起こる。七段R2000以上課金必須の鳳凰卓ができたのだ。情報を収集するため2chスレに赴くと、そこには鉄強者のハンドル名が列挙されていた。先に記事にしたbakaseこと福地誠もそこで暴れていた。

勿論課金をし、鳳凰卓でsideや六分儀ゲンドウなどの有名プレーヤと打つ。か、勝てない。
すぐチャオ(陥落を意味する)った。七段R2000に上げてはチャオる繰り返しをしばらく続けた。今考えるとその頃は東風速が盛っていて、そこでしか打ってなかったため昇段も降段もあっという間だったというわけ。東風戦は波激しいからね。まあ、ちゃんとした実力者は東風速でもしっかり昇段し十段もちらほらいたはずだから、単に私の実力不足だったのだろう。ちなみにそのころの福地誠は天鳳八段を、さも自慢げにブログのタイトルとしていた。

そこで、またしばらくネト麻の世界から離れる。気がついたときには天鳳位が誕生していた。
asapinこと朝倉康心である。そして勝負の場は東南戦に移行していた。
東南戦は時間がかかる。その当時忙しかった私は残念ながら、たまに打つ程度でしか参戦できなかった。しかし2ch情報収集だけはしていた。

その情報収集の場、2chで比嘉秀仁を発見する。自作自演と圧倒的な対局数で王に君臨していたのだ、鉄雑魚の。ようやっと比嘉さんの名前出てきたよ、ふぅー
今の比嘉さんへの感想といえば、「十段になったり四段になったり忙しい人ですね。人のことは言えませんが」位のもんだ。
そして面倒になっちゃったので、このお話はここまで。うん、慕ってますよ比嘉さん!

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