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AIの話をしない話 3/23の日記

ちょっとするとChatGPTがまた進化したらしい。

詳しくは知らないのだけれど。
前までは知らないことも(一部2021年以前の事は知らないと言っていたけれど)知っているという言い方ができたらしいが、知らないことを知らないと言えるようになったらしい。

知らないことを知らないと言えることの何がすごいのか、あまりよく存じ上げないがAIは学習したことのみが世界なのに対し、私たちは世界の中に存在しているため、AIは知らないことがあるということを知らないのだろうか。

言われてみれば不思議な話である。
見たことがないものがあるかもしれないというのは予測として当然のことだけれども、なぜそう思うかと言われると経験則のような気がする。
今までもそういったことがあったから。
1~10の事を聞かされたあと、11の存在を聞かされると12以降の存在を予測できる。
そのごく当たり前だったことがAIにはできなかった。
そして出来るようになったという事だろうか。

無知の知とはまた別な気がする。
自身が知らないことはいっぱいあるだろうなーとは思っていたが、そのあとに無知の知を知り「あぁ、そういうこともあるのか」と思った。

哲学の話で言えば、私たちはイデアもまた知らない。
イデアは存在しないとする人と、存在するとする人。
また存在するが我々がそこにたどり着くことはないとする人がいる。

いた気がする。
たしか。
私は後者である。
あるいはいつかたどり着くのかもしれないが、これこそがイデアであると定義される方法というものが全く思いつかない。

もしもAIを見る我々のように、我々を見る上位の存在がいるとして、彼らがイデアを知覚しているとしたら今頃
「こいつら全然進まないなー」
だの
「むしろ自分より下の存在を作り始めたよ」
だのいっているのだろうか。

AIによる学習プログラムが作られればいずれAIがAIを作る日が来るのだろうか。
フィクション好きの脳からはそんなことを考えてしまう。
学習モデルはあくまで人間が知覚しうることである以上、SFなどによくある過剰に発達しすぎたAIが暴走することはないのだろうなと思う。

と思う、というのもAIが知っていて人間が知らないことを我々が知覚することはないので、確かめようがないなと思う。
あるいは我々は情報の多さに惑わされているだけで案外イデアをすでに知っているのだろうか.

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