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誰のためにデザインするか。

新潟でプロダクトデザイナーをやっています。グラフィックデザイナーは地方でも多いけれどプロダクトだけでやっているデザイナーは極めて少ないと思います。私がフリーランスになった25年前は今よりも少なかったと思います。理由はきっと仕事が無いからでしょう。振り返って見て、デザインを頼まれると言っても、デザイナーとして認められ頼まれるのと、クライアントの代わりに「作業」させられるのとではそもそもが違う。工場に例えれば自社商品を作れるのとOEMをする事の違いに似ている。

25年前の私は、仕事のやり方が全く分からず、とりあえず、友人からの情報でデザイナーを探していそうな会社を訪問してみました。初めて入る事務所で、対応してくれた方に名刺をお渡しデザインの担当者に会いたいと伝える。たったこれだけの事だが、とても緊張したし、相手の方がこちらを不審な表情で見ているのが耐えらので精一杯でした。その上、返事も「電話でアポ取って出直して来い」と言うものでした。こんな事していたらデザイナーなんて続けられそうも無いと分かりやすい営業はやめました。直ぐに年間契約で仕事しましょうという奇特なクライアントが現れ、フリーランスでの活動をスタートしました。

様々な仕事をしましたが、はじめの頃はプラスチック成形の製品が多かったと記憶しています。プラスチック成形の場合、当時は金型費用が高く、ある程度デザイン費用もイニシャルコストとしてみてもらえたのだと思います。それとプラスチック成形の場合、設計のスキルが有ればコストを下げるような事も出来ました。それに比べ、金属プレス製品は金型はあるものの、溶かした材料を流す様な分かりやすさが無く、コントロールが難しいのです。多くのものづくりが今とは全然違い、アナログだったので、つくる職人によって違います。職人から話しを聞く事で、人それぞれの作り易いと感じるポイントが分かります。デザインする上で「飴とムチ」の使いわけをすればイニシャルを抑えたり、単価を下げられる事が出来ました。

今思えば、クライアントの為のデザインだった様に思います。以前は特に一製品の生産量も多く、生産性を高められる事は重要でした。現在でも、ものづくりの現場では、デザイナーはモノの作り方を知らないという声はよく聞きます。ただ、人と設備によって答えは一つでは無いので、簡単に理解出来る事でもありません。金属プレス製品は特にこうした傾向が強いです。

ちょうど10年くらい前から、自社の商品として製品の販売を始めました。はじめは軽い気持ちでやっていたので、ほとんど売れません。ただデザインだけは好意的に評価してもらえました。何となく雰囲気が変わったのが、東日本震災の後です。日本製品とか地域のものづくりが注目される様になりました。私達の製品は黒のステンレス製品という特徴があります。フォルムにも特徴を持たせ他の製品との差別化をしています。少しずつですが扱って頂けるお店が増えました。

友人のツバメコーヒーの田中さんからは「今はもっと主張しないフォルムと質感にしないと」とよく言われ、そんな事は分かっているけれど、誰もが売れる為の製品を作ら無くても良いし、自分がデザインしましたと思える為に作ってるのだから良いんだと話している。柳宗理の製品がそうである様にデザイナーの存在をキチンと感じるモノを好む人もいるはずだ。彼と話す事は考えが整理されてとても良い。製品はほとんどが使う人の為にデザインされている。でもそれは特定の誰かでは無く、想像上の使い手でしかない。具体的にはクライアントに向けてデザインされたモノか自分の為にデザインしたモノかの違いでは無いだろうか。

自分の素性を出し「私がデザインしました」といって良い製品とクライアントの頼まれてクライアントのお手伝いでデザインした製品がある。クライアントの為にデザインしてきたから今の自分があるのも事実だからどちらが良いとかではない。東京の様な大都市で無くとも自分の為にデザインしていける事を証明してみたい。自分にしか出来ない事はどんなに小さくても意味はあるはずだから。

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