拙作裏話


※このお話は星花女子プロジェクト参加作品『SとNのタペストリー』17~18話の裏で起こった出来事の短編です。また、『明星は漆黒の宇宙に冴える』の登場人物が出てきますので合わせてお読み頂ければと思います。両作品とも百合小説ですがこの短編では男しか出てきません。女の子に関する話は申し訳程度しかありません。人生についてちょっと重いトークを交わしています。

『SとNのタペストリー』
https://ncode.syosetu.com/n3098fz/
『明星は漆黒の宇宙に冴える』
https://ncode.syosetu.com/n4382fs/

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 S県中部にある名門男子校、御神本学園。毎年九月上旬に開かれる文化祭、ミカガクフェスタは一般人も多く集まる学園最大の行事で、今年もまだ残暑が厳しいにも関わらず多数の来場者を迎えた。

 近隣の学校の女子生徒もやってくるので、女っ気の無い環境で学ぶ学園生たちはなんとかしてお近づきになろうと血眼になっている……わけではなかった。この学校は校則が緩いくせに、なぜか異性との付き合いには厳しい風潮があって、ミカガクフェスタでは女性客との連絡先交換は一切禁止という不文律が設けられている。もっともこっそり破る不届き者も中にはいるわけで、実は俺、夜野丈太郎もかつてその一人だった。

 あれは三年前、高等部一年の頃。ミカガクフェスタに来場してきたとある女子高生に一目惚れをして、思い切って声をかけたことがあった。今振り返るとそうでもないのだが、入学して以来男だらけのむさい空間で過ごしてきたせいで、その子がアイドル級に可愛く見えたのだ。

 相手も乗り気で、メッセージアプリのIDを交換するところまでこぎつけた。しかし好事魔多し。よりによってその現場を"鬼"とか"修羅"とか"夜叉"とか恐れられている風紀委員に見られてしまったのだ。そいつらから呼び出しをくらって、まあ、いろいろあって、アプリのアカウントを消すことになってしまった。

 医科大学に入って彼女ができた今となっちゃあ笑い話なんだが、そのことを実に六年ぶりに再会した阿比野明日香先輩に話したら、やっぱり笑ってくれた。明日香先輩はお家が三元教の教会で、今はそこの教師として活動をしている。とは言っても、現役時代もそうだったけどこのお方からはいかにも宗教やってます的な雰囲気は漂っていなくて、顔がやたらと良い以外は普通の人といった感じを受ける。でもこのお方、本当は普通という言葉とは縁遠い人なのだ。

「お待たせしました、アイスコーヒーでございます」

 俺たちのテーブルに、ウェイターの格好をした後輩がアイスコーヒーを二人分持ってきた。ここは中等部校舎最上階、音楽室を利用して設けられた喫茶店『お城の見えるカフェ』で、窓から城跡が見えるからそう名付けられている。第一回ミカガクフェスタから続く伝統的な出し物で、店員は中等部三年生の中から顔が良いのを選抜して選ばれるのも伝統となっている。そのため店内は女性客が多いが、当然店員と連絡先の交換は禁止で、お触りなんかもってのほかだ(当然、男性客であろうと同様だ)。

「中三のときを思い出すよ。全然やりたくなかったのに生徒会長直々に土下座されて仕方なく店員になったことを」
「それで一時間待ちの行列ができたんでしょ? あんな行列ができたのは後にも先にも先輩のときだけらしいっスよ」
「本当?」

 明日香先輩は今はツーブロックのショートヘアーだけど、昔はボブヘアだったから顔だちの可愛らしさも相まってジェンダーレスに見えたものだ。だけどこういうタイプは女っ気の無い学園ではたちまちそういう目で見られてしまう。一時間待ちの行列ができた原因は男子生徒も先輩目当てで多く詰めかけたためだ。その明日香先輩の数ある伝説の一つを知ったのは、先輩が卒業した後だった。

 俺が中等部に入学した年、先輩はもう高等部三年だったから都合一年しか一緒にいられなかったけど、先輩が遺した伝説が後年になっても次々と明らかになるにつれて、こんな凄いお人と短い間とはいえ一緒にいられたのは光栄だと思えるようになった。

 喫茶店の話はほどほどにして、お互いの妹についての話が始まった。明日香先輩に小学生の妹がいるのは現役時代に聞かされていたけど、年齢が俺の妹、ことりと同じというのを知ったのは今日だった。それどころか、進学先もことりと同じで星花女子だという。偶然にしちゃ出来すぎだが、先輩曰くこれも神様のご縁だろうな、と。この辺りは宗教家らしい所感だ。

 明日香先輩が宗教の道に入ったのは、実家の教会を継ぐためだ。そしてこの点が先輩の最大の伝説にして最大の謎を引き起こした。それは大学に進学しなかったことである。他所の学校の生徒から見れば「その程度で伝説?」と呆れられるかもしれないが、進学率100%、しかも生徒の三分の一が東大に進学するミカガクでは大事件に等しかった。

 もちろん、著名OBには大学に行かなかった人もいないわけじゃない。だがいずれも勉強以外のものに興味を持って落ちこぼれるか、学校内外で問題を起こすかしてエリートコースに続くレールから脱線した末に大学に行けなくなったのが実情だ。明日香先輩は違う。入学以来ずっと首席の座を譲らず、文化部所属なのに運動神経もバツグンで体育の評定はいつも5。部活は箏曲、書道、そしてなぜか俺のいた探検部の三つを掛け持ち。おまけに高等部ニ年のときに生徒会長となったときなんか、勝ち目が無いとみたのか他に立候補者が出なかったため、史上初めて無投票で選出された。これも数ある伝説の一つだ。

 だから、この完璧超人たる先輩が大学に進学しなかったのは前代未聞のことで、将来の日本にとっての損失とまで言われる程だった。

 明日香先輩の過去を振り返っていたら、ほとんど先輩のしゃべったことを聞き流してしまっているのに気がついた。先輩の妹さんに恋人ができた、ということはかろうじて聞き取ったけど……よし、こっちから話題を変えるか。

 嫌がられたらそれまでだが、どうしても聞きたいことを今聞いておこう。俺は「答えたくなかったら答えなくて大丈夫ですけど」と前置きしてから質問した。

「明日香先輩はどうして大学行かなかったんスか? 宗教やるなら大学出た後でもできたでしょ?」

 同じ質問を先輩が卒業する直前にしたことがある。そのときは家を継ぐからという答えしか貰わなかったが、俺にはどうしても納得がいかなかったのだ。

「そうだな」

 先輩はまず、アイスコーヒーを飲み干した。

「ジョーになら話してもいいか。そのかわり誰にも言うなよ、妹さんにも」
「先輩の信仰している神様に誓って誰にも言わないっス!」

 俺は姿勢を正して合掌した。先輩の宗派的に正しい作法かどうかは知らない。

「実は僕には兄がいる。その兄がいろいろあって家を出ていってしまったんだ」
「家出した兄貴がいるんスか? そりゃ初耳っス」
「今はもう和解してるけどね。家は僕が継ぐことになっているけど」
「それでも高校出てすぐ行動しないといけないもんだったんスかね? 先輩の親に何かあったのならともかく。お坊さんや牧師さんでも大卒が多いって聞きますよ」
「変なところで目ざといよね、君」
「あああ、気に障ったのならすんませんでした」
「違う、褒めてるの」

 観音菩薩みたいな優しい顔をしているのに、何だかプレッシャーがかかってきて喉が渇く。俺は空になったアイスティーのコップを傾けて、氷を口に入れて噛み砕いた。

「兄も理由の一つだけど、実はもう一つ理由がある」
「何ですか?」
「死にたかったんだ」
「!? うっ、ゲホッゲホッ!!」

 氷の破片が気管に入りかけた。

「しっ、死にたかった? ウソでしょ? 勝ち組オブ勝ち組の先輩が?」
「勝ち組ね。じゃあ聞くけど、何をもって勝ちって言うのさ」
「そ、そりゃあ良い大学に行くとか、良い会社に入るとか、彼女を手に入れるとか……」

 俺だって名の通った国立の医科大学の学生で彼女持ちだし、世間一般から見たら勝ち組に入る……はずだ。

「じゃあ三つとも条件を満たしていない僕は負け組ってこと?」
「いっ、いいえっ、そんなこと言ってないっス!」

 明日香先輩は微笑んでいる。俺のうろたえぶりを楽しんでいるみたいに。

「君だけじゃなくみんな僕のことを勝ち組と見てたな。そんな僕にあやかろうとすり寄ってきたのは大勢いた。特別な人になろうとしたのもね」
「あー……やっぱりねー」

 本人の口から聞かなくても、明日香先輩に求愛した者は数知れずいたことはわかっていた。そして全員が玉砕したことも。鋼鉄のようなガードの固さから影では「アイアンメイデン」なんて大層なあだ名で呼ばれていたけれど、それが先輩の耳に届いていたかどうかまでは聞く勇気は無かった。

「結局のところ、みんなは僕じゃなくて僕のステータスしか見ていなかった。それを自覚した途端、虚しくなって死にたくなったんだよね」

 俺には理解できない考えだった。

「自殺願望を持ってるようには全く見えなかったっスけど……」
「いやいや。死ぬって言っても本気で死ぬわけじゃないよ。みんなが思い描く阿比野明日香の像をこの世から消したかった、ということ」
「なるほど、そういうことか。要するに『お前ら俺が良い大学行くと考えてるけど思う通りになってやんねーからな』ってことだったんスね」
「そう」

 ミカガクでの勉強についていけずドロップアウトして「死にたくなくても死んでしまった」のは何人かいた。この人は全てを手に入れて、最後の最後で全てを投げ捨てていった。まさに「自殺」以外何物でもなかった。

「ま、兄が家出してなかったら大学に行ってはいただろうね。悶々とした気持ちを胸の中に抱え込んだままで」

 記憶の中にしまっていた明日香先輩の姿を思い返してみたが、言われてみれば確かにどこか憂いを帯びていた気がする。今の先輩はそんな感じを受けない。宗教をやっているうちに悟りを開いたのかもしれない。

 俺は最後に一個だけコップに残っていた氷も噛み砕いた。

「あの、これだけは言わしてください」
「何?」
「先輩の周りはどうか知らないっスけど、俺は少なくとも先輩に対してやましい気持ちで接したことはありませんでした。信じてもらえないかもしれませんけど」

 明日香先輩はまたニッコリと笑う。

「わかってる。ミカガクでの六年間の中で、本音で話してくれたのは君だけだったよ」

 心をぐっと握られた。もしも中一、思春期真っ只中の頃に同じことを言われてたら俺でも惚れてしまっていたかもしれない。

「だって、僕に向かって『彼女ができるようにお祈りしてください』って頼んできたぐらいだもんねえ」
「そ、そんなこともあったっスね、ははは……でも先輩のお祈りは今年になってようやく通じたっス」
「本当に良かったよ。じゃ、お祝いにもう一杯おごってあげよう」
「ごちそうさまです!」

 俺は合掌して頭を下げた。そのとき、生徒たちがズカズカと足音を立てて入室してきた。半袖シャツには「風紀」の腕章をつけている。俺のトラウマがにわかに甦ってきた。何しに来たんだ?

 おいおい、まっすぐこっちに向かってきやがるし。もう昔の事件の精算は終わってんのに……。

「夜野丈太郎先輩ですね?」
「あ、ああ。そうだが」
「先輩の妹さんのことでお話があります。すみませんが、我々に同行して頂けますか」

 ことりが良からぬ客に襲われかけたことを知らされて色を失った俺は、保健室に直行したのだった。明日香先輩からのお祝いはまた今度だ。

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