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カケルオモイ 3年 ポンセ尾森世知

こんにちは、チェックくんこと町田悠から紹介預かりました、最近サイドハーフをやる機会が増えヴィニシウスとよく言われるポンセ尾森世知です。
拙い文章になると思いますが最後まで読んでいただけると嬉しいです。


運転手「閉めますよー。」

(ガッチャ)

雨がすごかったので自転車で帰れずタクシーに駆け込んだ。私はタクシーに乗ると大体運転手さんに話しかけられる。多分私のような見た目の人が乗ってくることは珍しいからだと思う。

私 「〇〇までお願いします。」
運転手 「日本語上手だねー!」
私 「日本生まれ日本育ちなんですよ。」
運転手 「そうなんだ、スポーツ何かやってるの?」
私 「はい、サッカーやってます!」
運転手 「すごいねー!じゃあ将来はプロだね。」


「プロ」


運転手と話していると、この言葉が出てきた。サッカーをやっている多くの人間がこれになりたくて日々鍛錬している。もちろん私もその1人である。プロサッカー選手を本気で目指している人にしか感じることができないことや、経験できないことがある。


「試合前日に眠らせないプレッシャーや緊張」

「怪我や病気を抱えながらプレーした練習や試合」

「監督がメンバーを発表するときに跳ね上がる心拍数」

「みんなが学校終わりに遊びにいく中練習に遅れないように電車まで走った回数」

「雨や雪の寒い中でもでもピッチ上で走り回った日」

「真夏の40℃近いに日にあつい酸素を吸いながらやる練習や試合」


それでもサッカーを心から愛して、ここまで続けてきた。うまくいかずに、何もできない自分がいて何度も心が折れかけてもうやめたいと思ったことも正直何回もあった。なんなら良い時よりも、辛い時の方が圧倒的に多い私のサッカー人生。

大学に入ってから前十字靭帯の手術をして10ヶ月ほどサッカーが出来なかったり、何度も足首を怪我を繰り返したり、3年生までBチームにいて関東リーグの出場時間は0分。

いつもBチームの練習が終わったあとスーツに着替えてバスや電車で長時間移動してAチームの公式戦をスタンドから応援する。

正直悔しすぎて心の底から応援できなかった。自分もそのピッチに立って表現したかった、活躍したかった。できる自信があったからこそ余計にキツかった。

しかし、その辛い期間があったからこそ自分と何度も向き合えたし、心が強くなれた気がしている。魂がさらに燃え上がっている。勝ちたい、ゴールを決めたい、仲間と喜びを分かち合いたい。その私にとって宝のような瞬間を味わうために、私は突き進んでいる。

そしてありがたいことに私にはいつも支えてくれている家族がいる。仲間がいる。怖くない。あとは全力で自分をピッチ上で表現するだけだ。どん底からでも夢を叶えれることを証明したい。ラストシーズン暴れる準備はできている。私は夢を叶えます。

みんなで勝ちまくって最高のシーズンにしよう!!

最後まで読んでいただきありがとうございました。

次回のブログ担当はバレンタインのお菓子が毎年クオリティ高くて美味しすぎている同期のマネージャーである、かなちゃん(庄子佳那)です!お楽しみに!

東洋大学体育会サッカー部 3年 ポンセ尾森世知

ポンセ尾森世知(ポンセ・おもり・せいと)2002年9月22日生まれ
トリプレッタSC→柏レイソルU-15→柏レイソルU-18

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