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夢 4年 野本幸太

今回部員ブログを担当する4年の野本幸太です。この文章を読んだみなさんが何かを感じ考えるきっかけになれば幸いです。

僕が東洋大学を選んだ理由は当時のキーパーコーチに勧められたからです。当時自分には高卒でプロになる力は無いと思っていたので大学を探していたところ東洋大学を勧められて練習参加をして直感的にこのチームだと思い東洋大学サッカー部に入部することを決めました。

僕の今までのサッカー人生でチーム選びをどうやって考えていたかを振り返ると直感というか流れに身を任せてきたなと感じます。もちろんより高いレベルでサッカーをしたいという思いがあったのは前提にはあるけど進路選びでそれほど考え込んだ記憶がなく運がいいなと感じることが多いです。
そんな感じでチームを選んできた僕ですがチーム選びで後悔したことは一度もありません。むしろベストな選択だったなといつも思います。僕は今までのサッカー人生で最高のチームと最高の仲間に出会えている自負があります。

出典元:https://web.gekisaka.jp/photonews/photolist?news_id=16444&photo_no=18


いつもこのチームが日本で1番面白いんだろうなと思いながら幸せな日々を送っています。

本題に入ります。

僕はこの一度きりしかない人生の中で夢を叶える瞬間を経験してみたいという欲がとてもあります。この世界には何十億という人がいる中で夢を叶える瞬間をつかみとれる人はほんの一握りだと思うし、さらに子どもの頃から変わらず持ち続けた夢を実現させた人となるともう少し一握りになるのかなと思います。僕の夢は子どもの頃からずっとプロサッカー選手になることで、この夢が変わったことはありません。
僕はこの子供の頃から持っているこの夢をまだ持ち続け追いかけている自分を誇らしく思います。
誰しも子どもの頃は大きい夢を思い描いていたが年齢を重ねるにつれ理想と現実にギャップを感じ勝手に自分に限界ラインを引き夢を諦めて行ってしまう人がほとんどだと思います。
特にサッカーは厳しい競争社会だなと思います。
ピラミッドのようで年齢を重ね上に行けば行くほど天秤にかけられふるい落とされていく、ような感じがします。
自分自身今までのサッカー人生で何度かこの天秤から落ちそうになったことがあります。そう思うのは決まっていつも自分の夢を他人に自信を持って語れなくなったときです。
このようなことを書いている時に自分が夢を豪語できなくなったのはいつからだろうと考えました。
自分は子どもの頃よく自分の壮大な夢を豪語していました。ただ歳を重ね社会に身を投じるにつれて世間体や周りの目を気にし自分にその実力があるのかを疑い、いつの間にか夢を豪語することができなくなってしまいました。
夢を他人に語るということには責任が生まれるし自信がないと語れません。また自信というのは自分はこれだけのことをやってきたと思えるほどの積み上げがないと生まれないと思うので、夢や目標を自信満々に語れる人を見るとそれほどの積み上げをしてきているんだなと感じます。

夢を叶えたいと心から渇望すればするほどその夢の実現の難しさを感じます。今までは夢というものを不透明な憧れのような感じで思っていたが、いざ夢と向き合い実現しようとするとその大変さを痛感します。
ただ同時にますますその夢を実現されたいという思いが湧き上がってきます。人生おもろ。

僕は今までの人生を大袈裟に言えば半分くらいサッカーに捧げてきました。(サッカーに関することを考える時間、サッカーをする場所に移動する時間など様々な要素を含め)時が経つのは早く遂に大学ラストイヤーを迎えました。今までは最終学年を迎えても次にサッカーを出来る環境がありました。でも今回はサッカー人生に見切りをつけないといけないかもしれない可能性があることを考えるとゾッとします。少なくとも仲間にはサッカーをやめるという決断をする人もいる中、こんな大切な時間をコロナウイルスに奪われていることがとても残念です。
ただ前を向くことしか出来ることはないのでサッカーが再開されたら夢の実現のために頑張りたいと思います。


東洋大学体育会サッカー部   4年  野本幸太


野本幸太(のもと・こうた) 1998年5月5日生まれ
大宮アルディージャJr.ユース→市立船橋高校


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