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因果応報 1年 田頭亮太

こんにちは!
今回ブログの担当をさせて頂く東洋大学サッカー部1年の田頭亮太(たがしらりょうた)です。
ポジションはサイドバックです。
人生で初めてのブログなので言いたいことがまとまってないかもしれませんが最後まで読んでもらえたら嬉しいです。

初めに現在コロナウイルスと闘っている医療従事者の皆さま本当にありがとうございます。

まず自己紹介をします。
僕は東京都出身で、4歳の頃からサッカーを始めました。
当時から「プロサッカー選手」になりたいと思っていました。幼稚園、小学校、中学校は地元の町クラブの練馬FCというサッカーチームで活動していました。
練馬FCでは自分の大好きなドリブル、攻撃だけをやっていても監督はなにも言わずに見守ってくれていました。そのおかげで多少は足元の技術がついたと思っています。監督にはとても感謝しています。高校は東福岡高校に進学しました。東福岡では皆レベルが高く、その中で3年間サッカーできたのは自分にとってとてもいい経験だと思っています。僕は高校1年生、2年生のときは主にフォワード、たまにサイドハーフをしていました。3年生になる少し前にサイドバックにコンバートして、そこからずっとサイドバックをしています。

高校での3年間は楽しいことばかりではなく辛いことの方が多かったと思います。
僕は肩の脱臼癖があり、今年の1月に手術をしました。3年生のときは10回以上外れて毎日テーピングガチガチでサッカーをしていました。外れるたびに一時離脱などサッカーできない時期もあったのでとても辛かったです。あと東福岡はとても走ります。毎週火曜日はアゲメといって走りの日です。僕は走るのが嫌いなので火曜日がとても嫌いで、毎週火曜日になると朝起きてから学校終わるまでずっと憂鬱でした。走ることが嫌いな奴がサイドバックなんて務まるのかと思う人もいるかもしれませんが、僕もまったく同じ考えでした。
正直1年生、2年生のときは走りのメニューなんてタイムに間に合えばいいと思っていて手を抜いてもいいと思っていた時もありました。そんな中僕はサイドバックにコンバートしました。サイドバックは運動量が求められるポジションだし、東福岡はパスサッカーでサイドをかなり使うチームなので始めたばかりの時はとてもしんどくて、走れない自分に変な言い訳をつけて体力がないことから逃げていました。
その時に東福岡のスタッフに言われた言葉がタイトルにある「因果応報」です。
因果応報はいいことをすれば良い報いがあり、悪いことをすれば悪い報いがあるという意味です。当時僕は反抗的でそのスタッフのことをとても嫌いだったので「何言ってんだ」と思っていました。しかし当然走れないサイドバックはチームに貢献できなく皆にとても迷惑をかけていました。なにも貢献できてない僕をずっと試合に出してくれていた監督にはとても感謝しています。
しかし僕はそれがとても悔しくて、体力がないことから逃げないと決め、火曜日のアゲメなどに本気で取り組みました。体力はすぐつくものではないのでコツコツ積み重ねるしかありませんでした。僕は因果応報という言葉を胸に刻みながら走りのメニューなど自分が嫌いなことにも取り組んでいきました。そしたらだんだんと走れるようになっていきチームにも貢献できるようになり、僕はとても嬉しかったです。その時僕は因果応報を思い出しました。自分が頑張った分だけ自分の結果として帰ってきて逆にサボった分だけ自分の結果として帰ってきたからです。1年生、2年生のときサボった分は高卒でプロになれない、自分たちの代で選手権全国大会に出られないという結果になって帰ってきたのだと僕は思います。

ここで今回のテーマである「東洋大学サッカー部を選んだ理由」についてです。

僕は小さい頃からプロになりたいと考えていましたが高卒でプロになれる実力もなかったので大学を経由してプロになろうと考えました。そこで関東1部でサッカーをしていて、自分のスタイルに合い、自分の良さが出せるチームが良いと考えていて、まさにそのチームが東洋大学でした。東洋大学は個々のレベルがとても高いし、意識も高いし、少人数ということもあり、いい意味でスタッフと選手の距離が近いと思います。ここで4年間過ごしたい、ここで成長してプロに行きたいと思い、東洋大学サッカー部を選びました。
僕は東洋大学に練習参加する前日に他の大学に練習参加をしていてそこでも肩が外れて東洋大学にきたときは痛すぎて思うようにプレーできなく、自分の良さをアピールすることはなにもできませんでした。そんな中で僕を引き抜いてくれた東洋大学にはとても感謝しています。この4年間も高校と同じように楽しいことばかりではなく辛いことがたくさんあると思います。しかし僕は辛いことでもポジティブに捉え、全て自分の成長につながると考えて日々の練習、試合に取り組みたいと思います。そしてこの仲間たちと関東1部リーグ昇格、優勝、日本一の景色をみるために頑張ります。最後に今まで支えてくれた家族、関わってくださったスタッフ、仲間に感謝してプロになるための4年間にしたいと思います。

とても長くなってしまいましたが最後まで読んでいただきありがとうございます。

次回は柏レイソルからきたレイソルの闘将と呼ばれていたらしい富田英寿くんです!お楽しみに!

東洋大学体育会サッカー部 1年 田頭亮太


田頭亮太(たがしら・りょうた) 2002年2月7日生まれ
練馬FCU-12→練馬FCU-15→東福岡高校

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#東洋サッカー部のいいところ

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