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自分なりの決意 2年 松田佳大

今回ブログを担当させていただく、2年の「残念イケメン」と紹介された関西人の松田佳大です。なにが残念なのかは分かりませんが気づけば、入って1週間目で足が臭いキャラ、2週間目では全てが臭いキャラになっていました。
やはり、関西人なんで仕方ないですよね。。(しゅん)
*あくまでもキャラです。

自己紹介はさておき、現在医療の最前線で新型感染症と闘ってくださってる医療従事者の方々には本当に感謝申し上げます。

では、本題に入りたいと思います。

私には沢山の仲間がいて、
その人達のおかげで挫折することもあれば、立ち直ることもできました。
そんな一喜一憂できる仲間達と出会えたことが自分の人生における財産であると、この期間にしみじみと感じています。
しかし、新型感染症によって仲間達とサッカーをする時間が無くなっているのも現状で、本当に辛いです。
しかし、この期間でもできることはあると私は考え、成長する時間を止めてはいけないとも思っています。
特に夢や目標がある人は尚、そう思います。

それは私にもあり、プロになって日本代表になるという夢があります。

ベタな夢だと考える方も多いと思いますが、全くその通りです。
なぜこの目標ができたのかと言えば、中学時代のライバルの存在でした。

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私は、中学時代をC大阪Jrユースで過ごし、チームメイトには今でもプロで活躍する鈴木冬一、瀬古歩夢、喜田 陽、石尾 崚雅などがいました。
この人達を初めて見たときには、自分の中でサッカーの概念がひっくり返る程の衝撃を受けました。
そして何より、テレビの中で日の丸マークを背負い闘う仲間達の姿がとてもかっこよかったのを今でも覚えています。
そこから日本代表になりたい!上手くなりたい!と思い練習に励む一方でしたが、差は全く縮まらず、むしろ広がっていく一方でした。
練習が始まれば、常にBチーム。スタメンやベンチ入りさえもできず、3年間ずっと下のカテゴリーにいました。
練習に行くのが怖くなった時期もありました。
しかし、いつか絶対に見返してやるという気持ちも心の奥底にはずっとありました。

そこで、どうやったら、並べるのか、また追い越せるのかを自分なりに考えた時に、やはり全国高校サッカー選手権に出ることだと私は考えました。

そして、自分の意思で京都橘高校に進学をし自分たちの代で全国に出場をし、「成長した自分の存在を知らせたい!」と思い迎えた京都予選の準決勝でしたが、最後に私がPKを外して負けてしまいました。
その瞬間、いままで積み上げてきたものや目標などが全て消えていってしまいネガティブな考えしか浮かばなくなりました。

しかし、そこで声をかけ、寄り添い助けてくれたのは仲間でした。

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たくさんの声かけや思いやりから仲間達に助けられ、立ち直ることができました。
そこから、次は私が仲間達に手を差し伸べる番だと思いました。

今回のテーマは「なぜ東洋大学サッカー部に入ったのか。」ですが、練習会で感じた仲の良さがあったのが大半です。
学年の垣根を超え楽しそうに笑い合う一面、練習では激しく言い合う姿などを見て入りたいと熱望しました。後に、合格をもらうことができ、遠い場所にも関わらず快く送り出してくれた親には本当に感謝しかないです。

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そして、今ではまたたくさんの仲間が増えました。常に怒っているような人(前田)や同い年とは思えないような人(瀬畠)など個性あるメンバーに刺激される1年間は充実していて本当に早く過ぎ去っていきました。
そんな毎日がまた必ず戻ってくると信じて今の時期もできることを全力でしていきたいと思います。

そして、私がこれまでの仲間にしてもらったように、より「多くの人に影響を与え」かつ「困っていたら助ける存在」になれるように日々成長していきたいと思います!

最後まで読んでいただきありがとうございました!

次回は、ある日筋トレにはまり、今やボディービルダーのような追い込みをする前橋育英から来たスピードスター室井彗佑です!!!
是非ご覧ください!


東洋大学体育会サッカー部 2年 松田佳大


松田佳大(まつだ・けいた) 2000年5月17日生まれ
EXE90FC→セレッソ大阪U-15→京都橘高校


#東洋大学 #fctoyouniv #松田佳大

#僕が東洋大サッカー部を選んだ理由

#東洋サッカー部のいいところ






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