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逆境を楽しめ! 4年 桝谷岳良

こんにちは!

先週のブログで哲太から4年のマスコットキャラクターと紹介していただきましたが、

その名の通りあだ名の数は東洋トップクラスで、丸いものはだいたい俺、耳がとんがってるものもだいたい俺、ネギ星人を訳して「ネギ」と試合中まで呼んでくる奴もいるし、なぜかそれに"ニョ"がついてネギーニョって言ってくる奴もいますが、結局最後は「えなりかずき」が1番しっくりくる4年の桝谷岳良です。


そんな話は置いておいて、、、


ここ1ヶ月くらい、ぼーっとしてる時には常に「最後のブログはなにを書こうかな」って考えながら過ごし、

頭の中でパッと浮かんだ言葉や心の奥底から湧き出てきた素直な気持ちをiPhoneのメモに収め、まるでリリック(曲)を書くラッパーのような生活をしてきましたが、

今日ここで【部員ブログ】という形でひとつの曲を完成させる時が来たようです。

このブログが読んでくれた人にとって少しでも心に響くようなものになればとても嬉しいし、家族や東洋の仲間達への感謝の気持ちや4年間の想いが伝わるようなブログになれば良いです。



4年間を振り返ると、サッカーで自分の思い通りに進んでたなと思えるのはホントに1年の途中まで。

高校時代にちゃっかり入った世代別日本代表やJリーグ選抜、強烈な同期のおかげで勝ち取った国体優勝、クラブユースやJユースでのベスト4

他の人と比べたら少し派手で少し映える経歴を身にまとって入学し、良い意味でも悪い意味でもギッラギラしてた1年の桝谷は、関東リーグデビュー2試合目で人生初の途中出場途中交代を命じられ(4年でまさかの2回目があったが笑)、そこから大学サッカーの難しさにどハマりしていくことになった。

そんな自分のブログのテーマは
「"逆境"を楽しめ!」

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これはW杯予選で日本代表がサウジアラビアに負けた後に本田圭佑がTwitterで発信した言葉だ。

"逆境"の規模は違えど、自分に響くものがあった。

そして何より最初に浮かんだのは東洋の仲間だった。

自分が折れずに4年間やってこれたのは、もちろん夢を叶えたいという信念や情熱もあるが、それだけでは絶対ない。

間違いなく、"逆境"を一緒に楽しむことができた東洋の仲間がいたからだ。


思い返せば、1、2年時のリーグ戦の日はほぼ補助学。青木と2人で試合が全く見えない駐車場で5時間くらいずっと座ってたこともあった。

2年の時は何回かAに上がったけど、毎回1週間も経たないうちにBに帰って来るもんだから、Bにいた同期に毎回「おかえり〜」って毎回おちょくられてた。

3年の時には途中から塩澤と2人でBチームに落っこちて、そこに元々いた哲太と飯澤を加えて、4人で毎日のように練習後に、「お前の強みはこういう所で、こういう所を伸ばせば最強になると思う」みたいなことを話しながら毎日励まし合ってた。

家に帰って、なんか色々と悔しすぎて、なげくん(1個上の長澤くん)に、もうどうすれば良いかわからんっす。って泣きながらLINEしたこともあったし、

飯澤と一緒に大忙しのクリスマス(奇跡的になんも予定なかったけど)に副審でリーグ戦に派遣されたこともあった。

チームで俺だけメンバー外になって1人で外から観戦してるっていう地獄みたいな夢を見て夜中に起きたり、

結局心も身体もボロボロになって、人生で1回もしたことなかった肉離れまでしてしまった。

最初は本気で悔しかったはずなのに、悔しさを味わいすぎて悔しさに慣れそうになったことも何度もあった。

もうええて、ってくらいどんどん新しい試練や大きな壁が自分の行く道を邪魔してきて、サッカーの本来の楽しみである試合もコロナによってどんどん減っていって、

なんのために練習してんのかな、って思ったり、俺ももうここまでか、ってなりそうになった事も数え切れないほどあったけど、

結局こうして4年間夢を追い続け、情熱を持って練習や試合に取り組み、サッカーを好きでい続けられた理由はただひとつで

東洋のサッカー部にはこんな"逆境"を一緒に楽しめる仲間がいた。

ほんとにこれに尽きる。

普段あんまり試合に出てない組で勝ったあの駒澤戦は人生で1番嬉しくて楽しかった試合かもしれない。

全員の気持ちが1つの目的に対して1つになって、ゴールをあんなに心の底から喜べるサッカー。

時々こんな瞬間を感じれるからサッカーってやめられないし、東洋の仲間がいたから俺も折れずに4年間を過ごせた。

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週に1度は賽銭用の10円をポケットに入れてランニングで近くの神社に向かい、

朝から健康ランドと化した平均年齢65歳くらいのジムの筋トレエリアで筋肉を鍛え、

試合の前には出る出ないに関わらずスパイクに「明日は俺のボールタッチを助けてくれよな」って話しかけながら綺麗に磨き(キモいけどほんとです)、

それでも週末の試合で試合に出れなかったり、出ても何も出来なかった時は、だいたい隣にいる塩澤となんでだろうな〜、悔しいな〜、まだまだ頑張ろうな〜って話しながら帰り、

悔しすぎて立ち直れなさそうな時は湘南乃風のガチ桜(大好きな曲)を聞いて心を奮い立たせ、

また次の日から週末のゲームに向けて、いや自分の未来に向かってまた繰り返しの生活が始まる。


こうやって辛かったことを少しおもしろおかしく書いてれば笑い取れるかなって思ってる自分も少し悲しいけど、

でも不思議とすごく幸せでもある。

こんな人生送れてることが楽しいと思える。

なんか生きてるって感じがするし、こういうのを人生って言うんだろうなって思う。


この先、どんなに辛いことがあっても、人生って不公平やなーって思うことが目の前に起きても、悔しすぎて全てを投げ出したくなる時が来ても、常にその逆境や壁を乗り越えようと思って毎日を頑張れる人間であり続けたい。

そんな逆境を楽しめる人間であり続けたい。

そうやって自分は21年間生きてきたし、そんな生き方が大好きだし、

"自分の好きなことをとことん突き詰める"

これが親から教えてもらった生き方だから。

いつもプロ並みの食事を提供してくれて、いろんな名言(時々韓ドラのセリフもある)や生きるうえで大切な事を常に言い続けてくれるお母さんや、

LINEの会話はほとんどゴリラかチンパンジーのスタンプだけど急に長文を送ってきて「夢は岳良の試合を毎週見に行く事やで」とか言ってくるお父さん、

俺の前ではあんまり言ってこないけど、裏では俺のプレーをベタ褒めしてるらしい弟は俺に自信を与えてくれる。

桝谷家は自分の自慢であり感謝してもしきれない。ありがとう。そしてこれからもよろしく。

そして、東洋の同期16人。

低学年の時は練習や試合でうまくいかない事があると、練習後や帰り道に話しかけんなオーラをプンプンに出して気を使わせたりしたけど(青木だけは気付かずにいつも通りのだる絡みをしてくるけど笑)、

みんなのおかげで熱い気持ちを共有する事ができた4年間だったし、それぞれがそれぞれの活躍を心から応援できるような16人が同じ学年で心の底から良かったと思う。

みんなと練習前にストレッチしながらDAZNで見た海外サッカーについて話し、ハイライトしか見てない飯澤がまるで90分見たように会話に入ってきて、山下とか大地がTikTokで得た薄っすいペラッペラのサッカー情報を自慢気に話してくるあの幸せな日常がなくなると思うとすごい悲しい。笑

本当にありがとう。そしてこれからも頑張ろう。
みんなとの4年間は本当に一生の宝物です。

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※撮影時のみマスクを外しております。

次は4年生最後のブログ。
もちろん書くのは我らが東洋のキャプテン神山京右。
ピッチ上ではもちろん、ピッチ外でも常に東洋をまとめ、サッカー部の歴史の中(俺が知ってる中)で唯一全員坊主になった代のキャプテン(笑)はきっと感動のブログを書いてくれるはずです!お楽しみに!

長い文章でしたが、最後まで読んでくれてありがとうございました!

東洋大学体育会サッカー部 4年 桝谷岳良


桝谷岳良(ますたに・たから) 2000年1月9日生まれ
あざみ野FC→川崎フロンターレU-15→川崎フロンターレU-18

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