大逆転は起こりうる。 4年 桑原遥
「大逆転は、起こりうる。
わたしは、その言葉を信じない。
どうせ奇跡なんて起こらない。
それでも人々は無責任に言うだろう。
小さな者でも大きな相手に立ち向かえ。
誰とも違う発想や工夫を駆使して闘え。
今こそ自分を貫くときだ。
しかし、そんな考え方は馬鹿げている。
勝ち目のない勝負はあきらめるのが賢明だ。
わたしはただ、為す術もなく押し込まれる。
土俵際、もはや絶体絶命。」
僕の大学サッカーは11月28日をもって終わりました。
プロを目指し、仲間たちと切磋琢磨した時間はかけがえのない時間でした。
セレクションを受けに行ったことも鮮明に覚えているし、合格の通知をいただいた時のことも昨日のことかのようです。
1年の時、同期の野本に「お前Iリーグ、ベンチ外なのw」と言われて、こいついつか削り倒してやると心に決めた日も。毎日が楽しくてどんな日も思い出せる気がします。
削り忘れたので今度会ったときに削ろうと思います。
小、中、高、大とサッカーを続けさせてもらい、どのカテゴリーよりも上手くなったと感じた4年間で1番成長を感じる時間でした。
この時間がずっと続けばいいのにと、この仲間たちと闘い続けれればいいのにと、何度も思いました。
上手くなったといえど僕の4年間は、1年の時は当たり前のように関東リーグ出場なし。
2年次も残り2試合で追加登録されるも出場なし。
3年次はなんとか出場機会を得るも結果を残せず6試合。
やっとこさ来た最終学年も3試合の出場で終了。
自分自身の力不足を毎年、いや毎日感じた4年間でした。
僕が目指した1点を入学したその月に決める奴がいて、僕が袖を通したかったユニフォームをすぐに着る奴がいる。
そんなのは当たり前で毎年のことだけど、「お前にプロになるのは無理だ」と言われてるようでした。
結果が全ての世界で結果0の僕は崖っぷちで、きっとどのJクラブも僕のことはみてなかったと思います。
崖っぷちすぎて、夜は眠れず、ご飯は食べれず、練習も身が入らない。負のスパイラルでした。
みんな、あのときは迷惑かけて申し訳ない。この場を借りて改めて、
そんな時にグラウンドに立つとみんなのエネルギーに圧倒されて、より自分自身の弱さを感じ劣等感に襲われたのも事実だけどチームを離れて、より一層みんなに支えられていたんだと思わされています。
プロを目指す自分にとって、結果を残すことは必要不可欠でした。今シーズンの目標として10点を掲げていたのに、無得点の僕は焦る焦る。
その時の僕は理想と現実の差に心はついていけず、諦めようとする自分もいました。
悩んだ末に、状況を打破するべくトライアウトをうけてご縁あってスペイン4部クラブと契約に至ることができました。
きっとこう思うかもしれません。
「成功しない」「無理だ」「諦めればいいのに」
でも僕は自分を信じます。
そして目標に進みます。
もしかしたら、僕には諦める勇気がなかっただけかもしれない。サッカーがなくなる日が怖かったのかもしれない。けど今の僕はサッカーを続けて活躍したいと心がいってるのでこの道を選びます。
必ず、僕はこの決断をしてよかったと思える日が来ると信じています。
「土俵際、もはや絶体絶命。
わたしはただ、為す術もなく押し込まれる。
勝ち目のない勝負はあきらめるのが賢明だ。
しかし、そんな考え方は馬鹿げている。
今こそ自分を貫くときだ。
誰とも違う発想や工夫を駆使して闘え。
小さな者でも大きな相手に立ち向かえ。
それでも人々は無責任に言うだろう。
どうせ奇跡なんて起こらない。
わたしは、その言葉を信じない。
大逆転を、僕は起こす。」
最後に
大学サッカーは最高でした。
父さん、母さん、東洋大学に入学させてくれてありがとう。
また、シーズン途中にも関わらず後押ししてくれたチームメイト、監督、スタッフに心から感謝します。
東洋大学のリーグ最終節の勝利と全国大会優勝の報告を待っています。
最後までお読みいただきありがとうございました!
まとまりがほんとにない文章!
崖っぷちでも積み重ねていけばいいことあるよって、お伝えしたかったです。
また個人のnoteでもスペインでの生活について書くのでよろしければ是非!
次のブログは185センチの大型マネージャー徳永です。普段は見せない心に秘める熱いを綴ってくれるでしょう。
東洋大学体育会サッカー部 4年 桑原遥
桑原遥(くわばら・はるか) 1998年6月21日生まれ
小平八小アベリアFC→FC東京U-15むさし→桐光学園高校
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