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井の中の蛙、大海に出る|近岡頌

profile
#staff 近岡頌
出身高校:麻布高校
ポジション:監督
昨年から学生監督としてチームを率いたア式の司令塔。常にチームの進むべき方向を示し続け、今季悲願のリーグ優勝に導いた。

近岡頌からのラストメッセージ

やっとブログが書き終わった。
ここ数日ずっと「ブログ何書こうかな」が頭にあったから達成感がある。

引退ブログは自分にとってすごく影響力のあるものだった。先代の方々の言葉に触れて、一橋ア式のカルチャーを知った。そして自分たちはどうあるべきなのかと考えを馳せることが多かった。

読者として楽しむことばかりで、書く側に回ることのリアリティはずっと無くて。引退して月日が経ってもずっとそんな感じ。

自分は何を書いたらいいんだ?ってなって色々と考えた。
引退ブログは自分の思っていることを伝える最後のチャンス。

「未来の自分が大学時代を振り返るのに使えるものにしたいな」

「学生監督という貴重な経験での気づきを還元できるものにしたいな」

「大事な人たちへの感謝を伝えられるものにしたいな」

「このブログにたどり着いた将来のア式部員に昔のことを知ってもらえるものにしたいな」

あんなにみんなの前で話すチャンスがあったのにまた伝えてみたいことがポツポツと出てきた。

活動期間中は自分のため、チームのために隠してしまっていたこともある。現役時代には伝えられなかったようなことも勇気を持って書いてみよう。

こんなことを考えていたら、いろいろな方向に発散したものが出来上がってしまいました。長くなってしまいましたがかるーい気持ちで読み飛ばしてもらえると幸いです。

大石は自分のペースで読んでね!

*これからさまざま僕の持論が展開されますが、サッカーに答えはない!自由なものだ!という気持ちで大目に見ながら読んでいただけると幸いです。


はじまり

僕はア式にスタッフとして入り、コーチになって、最後は学生監督をさせてもらった。

最初は自分のことをコーチって言うのも恥ずかしくてスタッフという名称を多用していた。
1年生のころは指導をしているって全くもって言えなかったから。Bチームの引退試合は東大にボロ負けであれほど無力さと不甲斐なさを感じることはなかった。大切なア式での最後の半年間を託してくれた当時の4年生に合わせる顔がなくて、覚悟を決めて残りの3年間努力をし続けようという気持ちになった。自分の役割も広がってきて、オフに死ぬほど勉強した甲斐もあり、ちょっとずつ取り組みにも自信が出てきて、2年生くらいからは自分のことをコーチと呼べるようになった。

自分って本当に臆病者で小心者なんだなっていつも思う。戸田さんにもしょうは声も小さいし、シャイすぎるっていつも言われてた。自分なりに頑張ってたんだけどなー。そのあとにいつも「俺も小さい時はしょうみたいな感じでやる気はあるけどシャイなやつだったんだ。殻を破れば必ず変わっていける」って言われて。ほんまかいなって毎回思ってた。
でも初めてお前の声がしっかり届いたって言われた時のことはずっと覚えている。そのあとに「声が届くようになった」には声量が大きくなっただけじゃないたくさんのしょうの変化があるんだよとも声かけられた。自信のある立ち振る舞いになり、意思のこもった声になったってことなんだって認めてもらえたような気がして嬉しかった。


今までにない感覚

コーチ業や監督業は今までやってきたどんなことよりも自分にマッチしていた。特に監督業には自分が楽しいなと思うポイントが詰まっていた。

ゲームの性質を理解し、効果的に取り組む方法を広く理解する。自分たちのキャラクターや強み、弱みを深く理解する。皆の個性を最大限に活かした形で、与えられた競争環境の中で最も目標達成に近づきそうな在り方に方向づけする。何事もちょっと俯瞰して分析しがちな性格と網羅的にどんどん知りたいという気持ちが湧いてくるオタク心が満たされる最高な仕事だった。そこにクリエイティブな要素が加わっていくことにもっとワクワクした。ペップ、クロップ、トゥヘル、ナーゲルスマンといったトップコーチたちから吸収したエッセンスを組み合わせて、そこに自分のアイデアを加え、オリジナルなものを作り上げていく。誰かの真似はあんまりしたくなかった。自分の中に浮かび上がるこれをしてみたらどうだろうか、この角度から見てみたら新たな繋がりが見つかるのではを大事にしながら丁寧にフットボールを紡いでいく。だからこそ自分にとってはすごくクリエイティブな作業だった。

ゲームをデザインしていくところはめちゃくちゃ楽しかった。特にボールの運び出し、侵入、ゴールアタックや即時奪回の構築は得意な気がしたし、楽しかったな。20本近く連続でボールをつないでエリアに入れたり、シュートに持ち込むのはまぐれじゃできない。重ならない位置関係の作り方、近づく離れるの予備動作のタイミング・スピード感の調節、ドリブルの時の姿勢、スピード、ボールの置き方、パスの蹴り方。生き物のように繋がりを保って、ボールを前に進められたら、ゴール前にたくさん人をかけられるし、取られてもすぐに取り返しに行ける。みんなが試行錯誤をして、上達を楽しんでくれるから、自分の頭の中で描いていたことがどんどん形になって面白かった。たまにみんなが自分の先を行って、驚くこともあったり。

いつしか巨大ロンドとボールプログレッション、即時奪回からの連続攻撃は自分たちの代名詞みたいになってきて指導者冥利に尽きるなって思った。これが絶対的に正解とかではないけれど、自分たちのスキルや身体的特徴から鑑みて、狙っていたポイントが注目されるようになって嬉しかった。

ハイライトがもう少し長かったら、自分たちのいいところをもっと多くの人に知ってもらえたのにな。けどリーグ戦が進むにつれて、溝口のプレーのピックアップのセンスが爆上がりしてめちゃくちゃ嬉しかった。お気に入りのプレーなんて何個でもストックあるからいつでも声かけてね笑

戦っているリーグは都リーグ2部なんだけど、自分の中ではもっとレベルの高いコーチたちと空想の中では競い合っている感じ。(言っていることかなり気持ち悪いですね。。)けどそれぐらいワクワク感がある楽しい取り組みってことが伝わればおっけー。

監督業は上で述べたような、サッカーのテクニカルな部分だけではなくて、マネジメントもすごく大事。1番こだわっていたことは「ユニークさの担保」。ユニークなスタイルや価値観を持ち、それを追求することでゲームの攻略に最も近づくのだという意思統一を図ることだ。他のチームと同じようなスタイルや価値観を希求しているだけでは相手との差別化を見出せずこのままでいいのかなという疑念を持つだろう。自分達の独自性を見出し、それにゲームを攻略する上での有効性を発見することで、没頭できるのではないかと思う。没頭状態を作り上げると、邪念に妨げられることなく、最もエネルギッシュでパワフルな状態にたどり着く。(誤った方向に進みそうな時には修正するのがコーチの大事な仕事です)

では一橋ア式におけるユニークさの担保とは?というところに話を移そう。「インテリジェンス」と「コミュニケーション」に強く根ざしたチームを作りたかった。サッカーを多面的に捉え、体系化して理解し、論理的な言語を用いてコミュニケーションを取るということだ。グッドプレーも上手くいかなかったプレーもプロセスを分解して、再現性を高める方法や改善していく方法を探す。ストックした知見をもとに、試合中に的確なコミュニケーションを取れる集団である。

ミラクルプレーに歓声が上がるチームではなく、ささやかな工夫や配慮を汲み取れるチームを作りたかった。そして小さな工夫を積み上げて、大きな違いを生み出せるチームを作りたかった。

サッカーという競技において成果を上げるためには、個人の学習が促進されるような価値観の設定がすごく大事だと思う。サッカーというスポーツの特徴的な点として、「ルール(制限)が少ない」、「45分間連続してプレーする」、「セッティングされたプレーが少ない」、「ロースコアゲーム」などが挙げられる。僕は他のスポーツも見ることが多いが、バスケやフットサルは5vs5であるという特徴を踏まえて、ユニットでの連携プレーが洗練されているし、セットしたプレーの多い野球ではデータ分析が盛んになり、同様の傾向を持つアメフトではプレーパターンの膨大さに特徴がある。これらのスポーツと比較すると、サッカー選手は無秩序すぎる環境に長時間放り出されることになるため、秩序を保ち、効率的に、機能的に意思決定し続ける術を授けることが攻略の鍵である。つまり選手が高度に自己組織化されている状態を目指すのだ。

あまりにも自由すぎる環境の中で、構造をシンプルにし、マンパワーを競う方法も存在するが、一橋大学の特徴を踏まえた時には複雑化、高度化させるフィールドに持ち込む方が強みが生きると思ったし、何より選手の前のめりな気持ちを引き出し、没頭状態に繋げられると思った。

個人の学習が促進される環境を噛み砕くと、「チャレンジングな実践」と「適切な振り返り」のサイクルが回る環境づくりである。前者に関しては、チーム全体で工夫の見られるアクションを抽出し、奨励するカルチャーが重要であり、後者に関してはアクションを適切に評価するフレームワーク(=プレーモデルやプレー原則)が重要になる。

そしてこのマインドセットや思考法はピッチ外のマネジメントとも深い関わりがある。ピッチの内外で志向されている価値観は相互に影響を与え合う。プレーモデルの構築段階においてチームのカルチャーを考慮に入れましょうという議論はよくなされているし、ピッチの内外で共通の価値観を持っていると、双方のアウトプットは高まりを見せ、強固なコミュニティの形成に大きく貢献すると思う。僕はプレーに深く関係するところで、「チャレンジングな実践」と「適切な振り返り」のサイクルを効果的に回すことで、ピッチ外でも同様の考えが適用され、強固なコミュニティが出来上がったら良いなと考えていた。それが回り回ってまたサッカーのパフォーマンスアップに貢献するみたいな感じになったら最高。

このように競技力の高い集団作りを考えることで、多面的な視点・アプローチが要求され、様々な発見が生み出されていく監督業は体験したことがない角度で知的好奇心が刺激される楽しいものだった。監督業の楽しさは様々ですが、1つの楽しみ方として伝わったらいいな。

様々な試行を経て出来上がったチームを興味深いと声をかけてくれる同業者の方々の存在も自分にとって大きかった。一生懸命考えたことを評価してもらえることが何より嬉しかったし、加えて学びを深めることも楽しかった。

同業者の方々に評価してもらえたことで、もしかしたら自分は他の人にない特別な能力を持っているのかもしれないとも思えるときもあった。

自分は今までなにをやっても人よりも優れているなと思うことはなかったし、人よりもちょっと得意からちょっと苦手の幅に収まることが大半だった。自信がなくて、勇敢さに欠けて、没個性的な自分が嫌になることが今までは多かったけど、監督業に勤しむ自分は好きになれた。自分が持ち合わせていたスキルに気づき、深いところに隠れていた自信に出会えた。今までにない感覚だったから、虜になって、どんどんのめり込んでいった。人との出会いに恵まれて、こういった貴重な機会をもらえたことに心から感謝したい。


苦悩

監督業を通して、今まで感じたことないポジティブな感覚があったが、それと同じくらい苦しいなと思うことももちろんあった。むしろそっちの方が大きかったかもしれない。
ざっと3つ程、苦労したことがあるので紹介させてください。ナーバスな文章が続きますが、将来似たような立場に就く人の参考になるかもなのでお付き合いください。

①マネージャーとして

監督をしている時の自分はニュートラルな自分と違っていた。これが「新しい自分に出会えた!」とポジティブに感じられる時もあれば違和感に直結することもあった。ニュートラルな自分と他者の評価、他者が期待し、想定している姿とのギャップが苦しかった。監督の役割や責任は大きい。だからこそ、気を引き締めて、目一杯背伸びして見合った働きをできるように努力した。自分の振る舞いが鏡のように相手から返ってくると思っていた。自分が誠実に取り組めば、周りも呼応してくれるし、不誠実だとどんどん離れていくように。だからミスは許されず、常に常に「正しい」を探し続けていた。そうすることで他者からの評価は間違いなく上がっていった。しかし、それと共に設定される期待値も高くなっているように感じてしまった。もしボロが出てしまったら、その期待値を下回ってしまったら、どんどんみんなが離れていって、チームが崩壊し、取り返しのつかないことになるような気がした。監督をしている間、このサイクルがずっと続いていた。これはただの自分の妄想にしかすぎず、期間中もそうだとわかっていたけど、この恐怖を捨てることはできなかった。

文字にして振り返ると、どれだけ自分が自己中心的で、周りを信じることができていないのかがわかってすごく反省しています。。

②コーチとして

「選手に対する責任」
多くの選手にとって大学年代がサッカー人生の集大成となることが多い。コーチは選手たちが10年以上多くの労力を割いてきたものの最終段階を担うことを深く理解する必要がある。選手の今までのキャリアへのリスペクトを忘れず、取り組んできたことのその先を提示していくことが重要だ。
こういうふうに言葉にしてみるとシンプルに見えるのだが、このことを一貫して継続することは難しい。勉強を怠り、ずっと言っていることが同じだなって思われると求心力はびっくりするくらい低下する。常に謙虚に、継続してアップデートを続けることが求められる。これらにとてつもなく苦労するということはなかったが、ひしひしとプレッシャーを感じていた。

また出場機会を十分に用意できないときの罪悪感はかなり大きく、苦しかった。自分が交代カードを切るのが遅いタイプというのも関係していると思うけど、アウェーで結構な移動をしなきゃいけないのに全くプレーできないとかはうーんって思う。それっぽい言葉はかけることができるけれど、理解できても納得できないことってあるよねと選手の気持ちも痛いほどわかるし。
土曜日に試合組んで日曜日にサブ組の試合を組むとかでも対応できるけど負担が大きいし、可能なら毎回後試合を組めたらいいんだけど、どうしようもないことだしなという。。
学生スポーツの意味合いを考えるともっとみんなに出場機会があるようにするべきなのかもしれないし。けど勝利を追い求める集団だからこそ、心を鬼にしてシビアに向き合わなければならないこともある。答えのない問いに苦しむことも多かった。

「結果(アウトプット)に対する責任」
こっちの方は苛まれるくらい大変。監督は役割の性質上、意思決定がほぼ全員に影響を与える。川上過程に関わることが多く、自分のアクション次第ではみんなの楽しさや充実感を奪う可能性があることが怖かった。これに関しては一生懸命勉強して、想像力を働かせて、事前に防げる失敗を予防していくしかない。もう1つは修正力。こまめに振り返りをしながら、違うなと思ったら直していくに限る。

監督の上に立つ人はいない。正解に近いものをアドバイスしてくれる人も少ない。基本的に自分発で正解に近いものを模索していく必要がある。負荷はとても高いし、かなりヒリヒリするし、めちゃくちゃ神経すり減る。3年の2ヶ月ほとんど勝てなかった時、4年の開幕2連敗した時、正直正気じゃなかったです。精神的にまいって、外に出るのが怖くなり、部屋に籠り、サッカーに向き合い続けた日々もありました。他のことをしていると周りに合わせる顔がなくなるような気がして。もっと周りを頼れたら良いんだろうけど、自分が弱っている姿を見せたら動揺を与えてしまうと思ってできなかった。
こればっかりはしょうがないことだなとも思う。振り返ってみて、声をかけられることがあるとすれば

  1. 追い込まれた時の歯を食いしばっての努力は少し経ってから必ず自分の力になる

  2. みんな与えられた場所で懸命に頑張っている。孤独感を感じるのではなく、自分の領域にプロ意識を持って、役割を全うする。

こんなところだろうか。苦しい時期はどんなに頑張ってもうまくいかないなってネガティブな思考に陥りがちだけど、少し時が過ぎてから振り返ると、あの頃の努力によって蓄えたものに救われてるなと思うことが多かった。あと「なんで自分だけ…」って自己中心的に考えてしまいがちなんだけどそれも間違いで、同じ感情を共にしている仲間がいることも忘れないようにしよう。

③指導者として

今のア式には指導者的な振る舞いをできる人が少ない。戸田さんがいた期間を2年、退任されてからの期間を2年過ごした自分だからこそ、指導者の有無の違いを大きく感じる。

「内なる弱さを教えてくれて、変化に気づかせてくれる」

これは戸田さんが僕たちに与えてくれたもので、他の人と一線を画すものである。自分の良いところを伝えてくれる人は多い。しかし、弱いところを面と向かって伝えてくれる人は限られている。加えて、戸田さんは直面している壁を乗り越え、変化したタイミングで声をかけてくれていた。だからこそ、変化を解像度高く捉えることができた。戸田さんがいた頃のnoteを読み返すと、思考の解像度が高いように感じられる。先輩方が書いたものが大半で、バイアスがかかってしまっている側面もあるとは思うが、それでも今とは違う気がする。指導者の有無によって、思考の頻度や深さが大きく変わってしまったのだと思う。

学生監督という立場だったからこそ、指導者不在の影響を痛感していた。自分もみんなもコンフォートゾーンに止まり続けている感覚を。コーチとしてサッカーチームの体裁を保つような働きはできるが、指導者として様々なことに通じるような本質的な学びを与えることはできなかった。そして自分が思いつきもしないような学びを得る場面も少なかった。学生がするべきことの枠を越えているのだが、指導者に大きな影響を受けた立場だったのでその感覚や関係性を残したかった。自分がその役割を少しでも担うべきだと考えていたからこそ、もどかしさを感じたし、苦しかった。

ネガティブな話が続いてしまいましたが、監督を続ける中で感じていた苦労というか違和感のようなものをざっとあげさせてもらいました。特殊な役割だからこそ、他の人とシェアできない、しづらいようなことがあり、そこに苦労していたような気がします。今まで経験できないような苦悩に向き合ったことで新たな学びがあったことも事実であり、振り返ってみると有意義なものばかりだなと感じる。

自分にとってサッカーの価値

ア式を卒業し、サッカーから離れて自分にとってのサッカーの価値やサッカーと自分の関係性がわかってきたような気がする。

「サッカーほど感情が揺れ動くものがあるだろうか」
「ピッチ上では逃げも隠れもできない。だからこそ本当の自分が出てくるんだ」

どちらも何度も戸田さんにかけられた言葉。
たしかに立っていられないくらい嬉しいことも涙が出るくらい悔しいこともサッカーぐらいしかない。サッカーがなくなった今、感情が揺れ動くことなんてほとんどない。
試合中、もちろん仲間はいるけれど孤独感も強く、自分でなんとかしなければならない場面がたくさんある。プレッシャーや恐怖を感じるからこそ、本当の自分に出会うことになる。逃げ出したくなる人もいれば、臆病になる人もいるし、楽観的なあまり責任感に欠ける人もいる。サッカーをしているとみんなのパーソナリティが見えるなと思うし、そこがまた面白い。

自分は元々感情の起伏が小さくて、それを大きく表現するのは苦手なタイプ。でもサッカーになるとちょっとだけ違って、思ったことや感じたことを躊躇なく人に伝えられる。サッカーなら自分を表現してみたいと思うことができる。

ア式に入ったばかりの時はもっと臆病だったけど、憧れを感じるような指導者、先輩、同期に恵まれて、もっとオープンマインドで周りにポジティブな影響を与えられる人になりたいと思った。

時間はかかったけれど、様々なチャンスをもらい、少しづつ感情の乗ったサッカー人になれるようになった。3年の頭ぐらいからはサッカーを通して自分の、自分達の思想や信念を表現したいと思えるようになった。立場も変わり、サッカーに対する熱量も変わり、考えること、思うことも変化したから、そう考えるようになったんだと思う。長い歴史を持つクラブを代表する立場になり、戸田さんという偉大な指導者が退団し、新しい形になったクラブがどう歩んでいくのかを力強くピッチで披露したかった。

3年の頃の試合前MTGの映像を見るとそういう趣旨のコメントが多かったなと思う。自分の意向を発信するあまり、みんなには大きな負担をかけてしまったと思うけれど、どの試合もみんなの姿は誇らしかった。insideも自分の話しているシーンばかりで本当に恥ずかしいけれど、その時々で考えていたことやどうなりたかったのかとかがわかってすごく良い思い出になっている。作ってくださった皆さん本当にありがとうございました。

自信を持って自分のことを表現したいと思うことができたのはみんなの存在が本当に大きい。引退して1人になると悔しいくらいにこんな力強い気持ちは全く浮かんでこない。努力家で、サッカーが上手で、負けず嫌いなみんなと一緒にいると、自分が大きな存在になれたような気がして、自信を持つことができて、夢を見られる。

信頼できる仲間と切磋琢磨し、その過程で獲得したものを信じて勝負に挑む。何度打ち砕かれても、手を取り合ってありのままの自分たちを精一杯ぶつける。みんなに支えられて、自分の存在価値を感じられて、背伸びして頑張ろうって気持ちが湧いてくる。これが自分にとってのサッカーからでしか得られなかった価値なんだと思う。

臆病で、あまり自信を持てない自分だからこそ、サッカーをしている時、監督をしている時の自分は異質。エネルギーに溢れていて、自信を持つことができて、負けず嫌いになれる。自分たちは特別な存在なんだって思える。こんな夢のような時間を過ごすことができて、心から感謝しています。


ア式のこと

ここまで個人的なことばかり書いてしまったので、ここからはア式に関連することを書かせてもらいたいと思います。

僕の入部前後は一橋ア式蹴球部にとって大きなターニングポイントでした。従来の主将・GM体制が無くなり、戸田さんの加入、競技スタッフやフロントスタッフの新設といった風に形が大きく変わりました。変革を先導していたわけではありませんが、様々な媒体で名前や写真、映像が出ていた僕は変革の象徴的な存在の1人だったと自覚しています。その中で以下の2点が自分が担うべき役割だと考えていました。

  1. 新体制の取り組みを発信し、これまでア式に関わってくださった方の理解を広げていく

  2. これまでのア式のカルチャーを理解し、継承し、歴史を紡いでいく

1に関しては今までたくさん機会もあったし、今回もたくさん書かせてもらった。ブログの読者にはこれからのア式を担う人が多いだろうということも考えて2について書いていこうと思います。

練習環境や指導環境が整う前のア式では恵まれない環境の中でどのように競争力を保っていくかというのが大きなテーマでした。泥だらけのグラウンドで、常駐コーチがいない中、朝早く1カテゴリーで練習していた。その中でも今や関東リーグで戦うような大学と渡り合っていたという今じゃ全く考えられないようなチームでした。

リソースが乏しい組織だったからこそ、部に対する帰属意識を高め、部員のより多くのコミットメントを引き出していることが特徴であった。「良い結果は良い関係性から」という言葉は組織の根幹にある考えで、強固な信頼関係を基盤として活動していたことを表している。費やした時間や労力に比例して、組織への愛情や帰属意識が高まっていく帰属意識が高まっていくという考えのもと、個々人の高いコミットメントを引き出し、リーダーシップの総量が大きくなる状態を高く評価していた。学生主体での運営に誇りを持ち、継続していくために多大な努力がなされていた。

良い関係性を代表するエピソードとして応援の文化が挙げられていて、サブチームの応援にトップチームが精力的に取り組み、全選手に個人応援歌があることは他チームに驚かれるようなものであったそうだ。カテゴリー問わず、フラットな関係性があり、全メンバーが等しくコミットメントを期待される、ウェットな関係性が特徴であったのだろう。

ア式でも多様な関わり方が生まれ、プレーをしない人材の活躍や専門的な学業との部活動の両立など多様で魅力的な組織に近づいている。以前のア式の枠組みや価値観が100%適用されることはない。しかし彼らのエッセンスを取り入れることはできる。
多様なあり方が尊重される中で、「自分は自分、人は人」といった感じで周りへの不干渉が目立つ人が増えている側面があるように見える。一橋ア式という組織に帰属意識を持ち、多様なあり方への理解を深め、互いにポジティブに支え合えるウェットな関係性があって初めて内実のともなった魅力的な組織になっていくだろう。僕が部にいた頃に改善すべきことだったと思うが、なかなかできなかったので1つの提言として残させてもらいます。

時間がある現役部員はnoteの過去記事のみならず、旧HPのブログも良かったら読んでみてください。内輪ネタも多いので、厳選して読まなきゃいけないですが、ア式に多くの熱量をささげていた人たちの考えに触れることで新しい考えとの出会いや自分の考えのブラッシュアップが期待できると思います。


おわりに

先輩方や戸田さんが紡いできたチームの舵取りを引き継いだ時から個人として、チームとしての自己実現はもちろんのこと、愛情を持って接してきた組織がみなさんにとって誇らしいものでありつづけるようにしたいという想いをもって取り組んできました。僕は組織やその中の人々から様々な投資を受けていて、それを少しでも恩返ししたいという一心でした。これからお会いする機会のある先輩方はよろしければどういう風に見えていたか教えてもらえると嬉しいです。

先輩方が1部昇格を長い間掲げていたから、自分も精一杯努力して、1部リーグで躍動して、一橋ア式ってこんなに強いんだぞってところを見せたかった。自分ってこんなにできることが増えたんだって確認したかったし、お世話になった人に届けたかった。そんなワクワク、ヒリヒリするような挑戦に憧れていた。

夢の舞台は近いようで遠かった。中々たどり着かなかったし、着いたと思う時にはもう遅かった。悔しいけれど、自分たちの努力を否定することはないし、精一杯の努力を肯定し、実力として受け入れています。

来年のチームは今年のアミノカップで見た夢の続きを存分に楽しんでほしいです。新しい挑戦に失敗はつきもの。必ず壁にぶつかる時が来るでしょう。開幕前かもしれないし、シーズン中、あるいは終盤かもしれません。僕も3年生の時に、学生監督になり、中々勝ち星が付かず、大きな挫折を味わいました。人は追い込まれた時に初めて本当の自分に出会います。追い込まれた時に諦めて、投げ出すのか、それともどんなにかっこ悪くても、諦めたくないと足掻き続けるのか。あの時出会った本当の自分は脆く、情けなく、醜いものだったけど、幸運にもそれを乗り越えて、自分自身を見返してやりたいという気持ちを持つことができました。これはひとえに周りの仲間のおかげです。後期の大東文化との試合の後、昇格が完全になくなって、誰にも顔向けできず、襲われた無力感は計り知れないものがありましたが、翌年の強い原動力になりました。

苦しい時こそ自分にしっかり問いかけてみてください。自分の弱さを知り、変わっていきたいと立ち向かった回数だけ僕たちは成長することができる。どんなに辛くても周りを見渡せば、手を差し伸べてくれて、自分に活力を与えてくれる。1年後、みんながたくさんの素敵なエピソードと共に、報告しにきてくれることを楽しみにしています。カテゴリーや周りの環境は関係ない。常に自分にベクトルを向けて、変化を楽しんでください。

加えて来年は結果でばかり評価するのではなく、プロセスを的確に分解し、分析することも重要になると思います。今年は後半戦から昇格と優勝を明確に目標に掲げて活動したけれど、評価の尺度が勝ち負けに偏ってしまって、サッカーのレベルアップをピュアに評価できていない感覚がありました。試合に勝ったらとりあえずOKって感じが自分の中では味気なかった。多分自分たちが1番成長していたのは1巡目の中盤から2巡目の序盤にかけてで、比較的プレッシャーが少ない時期に愚直にパフォーマンスの内容にフォーカスしていた時だと思う。結果重視の目標設定は結束力を高めるし、短期集中で火力を上げるという目的では効果的だけれど、長続きする施策ではないなとも思った。「成果目標」だけでなく、現状評価を行うための「状態目標」もうまく併用することをおすすめします。

来年以降体制も変わり、リーグのカテゴリーも変わり、戸惑うことも多いと思います。今年の尺度で物事を測りすぎずに、君たちのユニークさを大切に頑張ってください。

ここまで同期のみんなに言及できていなかったので最後に書かせてください。
4年間一緒にサッカーをしてくれてありがとう。みんながいてくれて自分の世界はぐっと広がった。高校までの自分じゃ太刀打ちできないような相手にも対等に試合することができて本当に楽しかった。ベタベタはしてないけど、サッカーの時は真剣になるくらいの関係性がちょうどよかった笑
みんな本心を言葉にすることは少ないけれど、自分の立場や苦労を汲み取って、望んでないことも我慢してくれてたんだろうなと思う。物分かりのいいみんなだからずっと甘えてしまっていてごめんなさい。みんなのブログを読んで嬉しいなと思うことも多いし、でも申し訳なかったなと思うこともたくさんあって、もうちょっと恩返しできてたらなと悔やんでいます。
これからもちょこちょこ遊ぶと思うし、仲良くしましょう!

僕は一橋ア式に入って、コーチに転向し、仲間にも恵まれて、今まで出会ったことない自分を見つけることができた。知らなかった自分の価値に気づくことができた。そしてみんなと共にいることで夢のような時間を過ごすことができた。

引退して、また1人となり、完全に0からのスタート。あの頃の自分は周りの人に支えられて生まれていて、自分1人になるとあまりにも無力だということを痛感する日々です。
これから新しいフィールドで新たな人たちに出会い、努力していくことになりますが、ア式で学んだことを忘れずに、仲間とのつながりを大事に謙虚に、ひたむきに取り組んでいきます。

冗長な文章が続きましたが最後まで読んでいただきありがとうございました。

多くの方々にお世話になり、思う存分部活動に打ち込むことができました。
クラブから離れることはとても名残惜しいですが、これからはサポーターとしてマイクラブ・一橋ア式蹴球部の益々の発展を応援していこうと思います。
4年間本当にありがとうございました

近岡頌


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