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海を見る自由と引き換えに|山下諒

profile
#65 山下諒
出身高校:県立鶴丸高校
ポジション:FW
屈強なフィジカルと強力なシュートが持ち味のFW。持ち前のコミュニケーション能力とユーモアで、チームに活力を与えた。

山下諒からのラストメッセージ


『大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。

 言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。

 中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。

 大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。

 大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。

 池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。

 「今日ひとりで海を見てきたよ。」

 そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。』

立教新座中学校・高等学校HPより引用、渡辺憲司氏の言葉)


ア式の活動は基本的に週6で、皆活動後やオフの日に学業、アルバイト、遊び等の予定を入れている。サッカーで疲れてしまい、午後のほとんどを昼寝に充ててしまう日も少なくなかった。つまり多くの体育会の例にもれず、部員のほとんどは平均的な大学生よりも忙しい日々を過ごしているはずだ。


当然部員は皆サッカーが好きで自分の意思によって部活動に所属しているし、自分の忙しさに不満があるのならば辞めてしまえという話だが、現実はそう簡単な話ではなく様々な事由が複雑に絡まっていて、最終的に部活動に所属していたほうが自分にとって良いだろうという判断をした結果が卒部noteを書いている現在に繋がったわけである。


私は2年生からア式に中途で入部しており、1年生の時はサークルには所属していたもののコロナ禍の影響もあって活動はほとんど無く、自分の時間がかなり多かった。1年生の頃は自由な時間があったからこそ思い付きで旅行に行くこともできたし、翌日のことなど考えず徹夜で麻雀を打つこともできた。朝早く起きた時には鎌倉・江の島方面に海を見に行くこともあった。


冒頭で紹介した立教新座高校の渡辺憲司校長(当時)の「海を見る自由」は、受験生のときに知ったもので、当時から現在に至るまでずっと心に残っている言葉だ。1年生の頃にはまさに私も「海を見る自由」という権利を持っていたし、行使していた。


2年生になってア式に入部するとなかなかその自由を行使する機会は訪れなくなった。部活が終わった後は疲れているし、そもそもまとまった時間が取れない。オフの日にはたいてい予定を詰め込んでいるため、海を見に行くとしても前々から企画した旅になってしまい、「ふらっと」「思い付きで」というのはなかなか難しい。


入部当初はそれまでの生活とのギャップにかなり戸惑い、何度も自分の「ア式に入る」という選択が正しかったのか考えた。サッカーをやりたいだけならばサークルでもいいのではないか、大学生という最後のモラトリアムをほとんど部活に捧げることが本当に自分にとって良いことなのか。マイナスな考えはいくつも浮かんできて、退部を考える日もあった。


ただそれでも辞めてはいけないと歯を食いしばった当時の自分を今褒めてあげたい。もしかしたらあったかもしれない「自由で楽しい」大学生活を失ったとしても。サッカーは最後まで下手くそなままだったけれど、ア式に在籍した約3年間の日々は何よりも価値のある時間だった。


試合のために重ねた努力、試合に出られず感じた悔しさ、勝利を仲間と分かち合う喜び、自分がゴールを決めたら駆け寄ってくれる仲間たち、どれもア式に入らなければ得られなかったものだ。


10月に卒部して私は再び「海を見る自由」を得た。ただそれは1年生の時のものよりも価値のある自由である。やりたいこと、行きたい場所が増えた。海に行く仲間ができた。暇な時間を貴重に感じられるようになった。やりたいことを実現する行動力、体力がついた。


来年の4月に就職し、40年以上「海を見る自由」を失うことになる。しかしそこにネガティブな感情は以前ほどない。ア式での日々が価値観を変えてくれたから。


残り約3か月の大学生活でどれだけ海を見に行けるだろうか。


関わってくれたすべての人々に最大の感謝を。ご清覧ありがとうございました。


山下諒

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