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雨宮まみさんについて

「東京を生きる」は唯一読めた本だった。「40歳が来る!」も、一歩先行く先輩の備忘録として、毎月更新を楽しみにしていた。でもこじらせっていう言葉は好きじゃなかった。ややこしい、気難しい、でいいじゃない。カテゴライズしないでよ。なんでそんなサブカルっぽく日本語を壊すの。最初は嫌悪感でしかなかったのに、ラジオやテレビで雨宮さんの声を聞くにつれて、うがった見方もとがった視点もない、ただシンプルな造語だったのね、と思う。鏡に映った、どこかへそ曲がりな自分をなでるように、「こじらせ」って言葉を使ってたのかな。


◆大和書房Web
40歳が来る!」 「東京」*「東京を生きる」の元連載


「女子をこじらせて」も、「穴の底でお待ちしています」も、「ずっと独身でいるつもり?」も、「だって、女子だもん!」も、とことん肌にあわなかった。それなのに。今後、彼女の言葉が読めないのは、とても寂しい。


Web連載「40歳が来る!」11/1に更新されたばかりのエッセイでは、ぽっくりいっちゃうんじゃないかしら、と思わせる表現があって読みながらひやりとした。インスタグラムはいつも笑顔で、ショートヘアがばっちりきまっていて、お高いブランドも似合うしスタイルも抜群、タイのコスメティックとアンティーク、美術品への溢れんばかりの愛をSNSで語る、そんな人柄が雨宮さんを形作っていた。あけすけに007のジェームス・ボンドが好きだなんて呟いてるのをみて、美人な見た目にはんして、可愛いひとなんだなと思っていた。


「東京を生きる」第1章で書かれていた【九州で過ごした年月を、東京で過ごした年月が越えてゆく。ずっとずっと待っていた瞬間だった】という一文は、いまでもそらで覚えてる。私の母も多分同じ経験をしているから、この本をみせたらどんな反応をするのかふと知りたくなった。それとも雨宮さんの若さに面映ゆいと感じるのかもしれない。昭和のひとだから、元AVライターだっていう背景だけで拒否されるかな…。福島で生まれて、東京で育って、語るような苦労も大病もしたことがない私からすれば、比較などできないひとなんだけれど、今日のSNSにあふれる雨宮さんへの追悼や、彼女の著作に救われていたひとが少なからずいた事実に今更気づいて、本当に寂しい。


18歳で上京し、私は今年、36歳になった。
ずっとずっと待っていた瞬間だった。
九州で過ごした年月を、東京で過ごした年月が越えてゆく。
「都会の人」に憧れたわけではない。
故郷に錦を飾りたいわけでもない。
ああやって、逃げ出してきた故郷に、帰りたくないだけなのだ。
そして、故郷から逃げ出して行く先は、東京しか思いつかない。
ほかの場所でも、どこでも、かまわないはずなのに。

雨宮まみ著「東京を生きる」より

亡くなってから名が知れるなんて皮肉だけれど、「生きること」を語った雨宮さんの思いは、いろんなひとの皮膚に刺さるはず。彼女の言葉が一人でも多くの人にふれられますように。




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