見出し画像

はじまりはいつも雨

数年前小室哲哉が逮捕された夜、私は友人の合コンに急きょ呼ばれていた。参加者は全員年上でドストライク世代だったため、合コンは終始その話題で持ち切り。結局食事を早めに切り上げそのままカラオケで小室ナイトをやった記憶がある。小室ワールドに足を突っ込んだのは中学生の時、篠原涼子「愛しさとせつなさと心強さと」のポスターを通学路の駅でみて、帰りにCDショップで購入した。19歳で実家を出るときまで大事にもっていた。


昨晩の吞み会で、タイムリーにASKA話になった。先輩ふたりは36歳と39歳、聞いてみると「はじめて買った8cmCDがYAH YAH YAHだった」「はじまりはいつも雨、学生のとき好きだった子にCD借りた」とか甘酸っぱい思い出があるようだ。会社の同僚は「君が代を歌ったASKAを見て震えた」らしい。「晴天を誉めるなら夕暮れを待てが大好きだけど、おそれおおくてカラオケで歌えない」とも。No no darlin'、WALK、PRIDE、LOVE SONG、僕はこの瞳で嘘をつく。ソロでもチャゲ飛鳥名義でも、名曲は多い。


一年前の夏、終電を逃した私は東京駅から葛西駅までのバスを待っていた。会合のあと、タクシーで帰るか朝まで飲むかどうしようと迷っていたら、小耳にはさんだ店員さんが12:45に八重洲口から出る深夜バスの存在を教えてくれたのだ。これなら1時間もかからないし、2000円で帰れるなんてラッキーと思いながら、バス停前のコンビニでお茶を買って乗り込む。車内は5~6名ほど、女性は私ひとり。発車のアナウンスが終わってライトが消された。お酒がはいって眠れないので携帯のradikoを起動して、暇つぶしにラジオを聞き始めた。どのチャンネルだったかわからない。たわいない深夜の与太話の途中で、リクエストだったのか、チャゲ飛鳥の「太陽と埃のなかで」が流れてきた。初めて聞く曲だったのに、私は頭を窓にあずけていつのまにか泣いていた。特別つらかったわけでも、哀しかったわけでもない。ただ凄く胸をついた歌詞だった。バスは月も見えない夜空の下、キラキラ輝くビル群を見下ろしながら走っていく。ガラス窓越しにぐるぐる交差する高速道路をみつめながら、はじめて「帰りたい」と思った。


僕らはいつだって 風邪をひいたままさ
オイルのきれた明日のプログラム 大事に回している
追いかけて 追いかけても つかめないものばかりさ
愛して 愛しても 近づくほどみえない


たまに自問する。福島なのか、東京なのか、アメリカなのか、私の「ホーム」ってどこなのか。身内や友人、お世話になったひと、愛しているひとたちは世界中にちらばっている。唯一無二の誰かを帰る場所に例えるのなら、ひとりで生きるということは、帰る場所はつくれないということなのか。このころ、雨宮まみさんの「東京を生きる」を読んだばかりだった。いつになれば丁寧な暮らしができるのだろう、いつになれば自分の正しい「身の丈」がわかるのだろう。そんな言葉がエッセイ集に書かれていて、都会にあふれている一線を越境すればするほど、自分のほしいものがわからなくなる事実をつきつけられて、心に決めた。もう一度「ひとり」で生きていけるようになろう。


あれから1年たって、「はじまりはいつも雨」を聞いている。才能と素行は比例しない。ASKAの曲は好きだ。女性が乗り移って書いたんじゃないかと思う怖い歌も、優しい歌もそろっている。本人がどんなにぐっちゃぐちゃの人間だとしても、かれが生み出した作品はずっと色あせないことを祈っている。

君に会う日は不思議なくらい 雨が多くて
水のトンネルくぐるみたいで幸せになる
今夜きみのこと 誘うから空をみてた
はじまりはいつも雨 星をよけて


いただいたサポート費用はnoteのお供のコーヒー、noteコンテンツのネタ、映画に投資します!こんなこと書いてほしい、なリクエストもお待ちしております。