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名門FCバルセロナ 〜サイクルの終焉〜

サッカーに興味のない人も一度は聞いたことがあるであろうFCバルセロナ。

ちょうど昨年、チェルシーFCとともに日本でプレシーズンマッチを行ったことにより日本での知名度も著しく上昇したのではないか。

なぜバルセロナが日本でプレシーズンマッチを行ったのか。それはバルセロナのスポンサーが楽天であること。その繋がりによってバルセロナのレジェンドであるイニエスタ選手、さらには生粋のラ・マシア(バルセロナの下部組織)育ちのサンペール選手がヴィッセル神戸に移籍したことが関係している。


昨年FCバルセロナBに加入した安部裕葵選手。さらには現C大阪所属の西川潤選手もバルセロナの目に止まり移籍の噂が立っていた。

近年のバルセロナはヨーロッパだけでなくアジア(主に日本)にもマーケティングの網を広げている。日本と最も密接な関係を築いている欧州のクラブと言っても過言でない。

ここまで、日本とFCバルセロナの関係を書いてきたが、これから本題に入る。

バルセロナといえば、サッカー好きなら一度は耳にしたことがあるであろう、『ティキタカ』が代名詞である。ティキタカとはボールを保持し、連続したパス、連動した動きで相手を翻弄し試合を支配するプレースタイルである。その華麗さから芸術と呼ばれることもあるほど人々を魅了する。

このティキタカというものを体現し、欧州の主要タイトルを総なめにした監督がいる。その名もペップ・グアルディオラ(現マンチェスターシティ監督)である。

ペップという愛称で呼ばれ、現役時代はバルセロナの選手でもありクライフを絶対無二の師匠としている、サッカー界屈指の名将である。トータルフットボールの基礎を現代で体現した張本人であり、彼が繰り広げるサッカーは見るものを釘付けにする。チーム内の秩序に重きを置き、徹底した管理の元、彼はFCバルセロナに規律を与え、ロナウジーニョ、デコなど各国が誇るスーパースターでさえ躊躇なく戦力外にする徹底ぶりを見せた。

彼が達成した”三冠”は20世紀ではバルセロナ、インテル、バイエルン、この3つのクラブしか成し遂げたことのない偉業中の偉業である。カンテラ(下部組織)の選手を積極的に起用し、スペインクラブ史上初の三冠を就任1年目にして成し遂げたのである。ペップはバルセロナで4年間指揮しリーガ3回、CL2回を含む計16ものタイトルを獲得し、バルセロナを去っていた。

彼が去った3年後MSNの一時代を作りあげた監督がいる。その名もルイス・エンリケ(現スペイン代表監督)である。

エンリケのチームといえばネイマール、スアレス、メッシの破壊力抜群の強力3top(通称MSN)である。彼もペップと同じく就任1年目にして三冠を達成している。この頃からバルセロナはティキタカとはかけ離れたサッカーを繰り広げていくのである。得点は前線3人に任せ、そのほかは馬車馬のように走り前線のサポートに徹した。(とは言ってもこの頃はスアレスもネイマールもある程度の守備のタスクをこなしていた。)

そんなエンリケのバルサであるが、14-15シーズン、エンリケ就任とともに加入し現在までの一時代を支えた選手がいる。その名もイヴァン・ラキティッチである。彼はセビージャ時代、中盤の王様として君臨し攻撃の要として活躍していたが、バルセロナではサポートに徹している。中盤全般、さらにはセンターバックまで、そのユーティリティ性を存分に発揮しチームを支えている。しかし4-3-3の布陣で闘うバルサに用意されている椅子は3つだけ。イニエスタ、ブスケツが絶対的な主力であるため、実質狙える枠は1つだけだった。その枠をラキティッチとともに争った選手がセスクである。

セスクはバルセロナのカンテラ出身、身体能力こそは高くないものの、持ち前のIQとパスセンスによって違いを創り出す生粋のバルサ型の選手である。しかし、中盤の一角を担ったのは『バルサらしくない』選手、イヴァン・ラキティッチだった。MSNを支えるには豊富な運動量があり、チームを影から支えられる『黒子』となれる選手が必要だったのだ。

この選択によってバルセロナは見事に三冠を達成し栄光のシーズンを送ることになる。しかし、ここで成功してしまったばかりに本来のプレースタイルであるティキタカの姿は薄れ、MSNによる暴力的なサッカーへと変貌を遂げ、歯車は狂い始めたのである。

そして17-18シーズン開幕直前バルセロナに衝撃が走る。そう、ネイマールのPSG移籍である。


メッシ、スアレス、ピケ等の説得も虚しく、ネイマールは世界一の選手になるためにバルセロナを離れることに決めたのだ。理由は簡単でバルセロナにはメッシがいるからである。世界一のプレーヤーがチームにいるため、いくらバルセロナでタイトルを獲得しようが、メッシのチームな以上ネイマールが世界一の選手にはなれず、くすんでしまうのである。そのためPSGに移籍し、自分が中心となり欧州のタイトルを勝ち取れば世界一の選手になれるのではないかと彼は考えたのである。

そんな波乱の中チームの監督を任されたのがエルネスト・バルベルデである。

そこでバルセロナはネイマールの後釜としてウスマン・デンベレを獲得するが、早々に怪我で長期離脱。伝統の4-3-3は姿を消し、4-4-2のフォーメーションで戦った。冬にはリヴァプールからコウチーニョを獲得し、リーグ戦は優勝を決めるまで無敗。国王杯も優勝するというネイマールが居なくなったにも関わらず、素晴らしい成績を収めた。

一見バルベルデは順風満帆なキャリアを送っているかに思えたが、CL2年連続で大逆転負けを喫っしてしまう。欧州のビッグクラブにおいてCLはリーグ戦と同等、もしくはそれ以上に大事なコンペティションである。さらにバルベルデは若手をあまり起用せず、手堅いベテランメンバーで戦うことを好む現実主義の監督であった。最初に紹介した監督であるペップとは正反対のタイプの監督であると言える。バルセロナのファンはペップ時代の華麗なサッカーを求めているため、現実的な手堅い試合でいくら勝ったとしても、バルセロナにおいて求められているものとは乖離がある。CLの敗北、プレースタイル、起用選手などの理由からバルベルデは2年と少し、シーズン途中に解任されることになる。

そうして急遽バルセロナに就任した監督はキケ・セティエンである。

セティエンは昨シーズン、同リーグのレアル・ベティスを率いており、バルセロナのホームであるカンプ・ノウで攻撃的なフットボールを披露し打ち合いの末3-4でバルセロナを破った。ホームでの唯一の黒星を記録させたこの功績を買われてバルセロナを率いることになったのである。(この試合で勝っていなければ就任はなかった)

彼はクライフの信者でありトータルフットボールを掲げている。(この点ではペップと同じ思想)攻撃的なフットボールを好みボールを保持し、試合を支配することを約束する。と就任当時は述べていたが蓋を開けてみるとただボールを保持しているだけ。ポゼッションすることはあくまで試合に勝つための手段であり、目的ではない。彼のサッカーはそこがペップとずれていた。結局シーズンを終えてみると、リーガは2位、国王杯準々決勝敗退、CLはバイエルンに2-8という歴史的なスコアで完膚なきまで叩きのめされた。戦い方は攻撃面ではメッシの個人技、もしくはスアレスの理不尽ゴラッソに頼るという悲惨さ。守備においてはスアレスとメッシ守備免除の4-4-0のブロック。今時欧州の舞台で4-4-0で守ることなど不可能であり、その結果が数字として現れた試合がバイエルン戦である。

そしてセティエンに一番欠けていたものは人心掌握術である。エゴの塊であるバルセロナの監督をする上で一番必要とされる能力がセティエンにはなかった。ライバルチームのレアル・マドリードを見てみると違いが露骨にわかる。誰もがジダンの言うことを真摯に聞き入れ、指示に従っている。ジダンはこの人心掌握術に最も長けている監督と言っても良いだろう。

結局セティエンは解任されたが、彼が成し遂げたことを挙げるとするのならば、カンテラーノ(下部組織の選手)の起用である、アンスファティ、リキプッチこの二人が主力に定着したことはセティエン唯一の功績と言えるだろう。さらにはCLでのモンチュ(Bチームのキャプテン)の起用など、トップチームの選手が少なすぎたというのもあるがカンテラーノの起用という面では十分な仕事をしてくれた。

現在FCバルセロナは主力の高齢化、スタイルの喪失が進んでいる。バイエルンに8点目を決められた時、ベンチにいたアラウホ、コリャド(2人ともカンテラーノ)が怒りをあらわにしていたシーンがある。夢にまで見た憧れの存在であるトップチームの選手が腑抜けたプレーをしているのだから怒って当然。むしろベンチで黙りこくっているだけならこのクラブは終わりだ。悔しがってくれる若手がいる、バイエルン戦の帰り、バルセロナのファンから罵声が浴びせられる中、ただ一人だけ正面から堂々と帰った選手がいる。それはBチームのキャプテンを務めているモンチュである。惨めなおっさん達がこっそりと帰る中、彼は堂々とファンと向き合った。今クラブに必要なのは彼らのような若手ではないのか?

ネイマールの資金で獲得した外部からの選手は全く活躍せず、ゴミ箱に捨てたも同然。無能なフロントも含め、血の入れ替えを行う時が来た。幸いにも現在バルセロナには闘志を持った有望な若手が多く在籍している。今こそ大改革を行うべきだろう。

ここまで読んでいただきありがとうございます。ではまた。

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