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子供のころの豊かさの幻想

子供のころ 自分は豊かだと考えていたけど モヤモヤがあり どこか違うような気持ちもしていた。

大人になって思うことは 自分は豊かではなかったということだ。毎日 ご飯が食べれて寝る布団があったのにだ。

なぜか?

例えば机とイス さらに電気スタンド。親は自分で選んで良いと言い 自分で選んだものだ。もちろん いくらまでという上限はあったが十分な範囲だったと思う。

現在のオレが見れば机もイスも電気スタンドも 全て これではダメだと言える。机はこうゆうのが良い理由は~。イスはこれ理由は~。電気スタンドはこれ。理由は~。

親が自分で選ばせてくれたのは 当時は良かったと思っていたが 実際はオレは良いものを選択する能力がなかった。自分でその事に気づいてもいなかったと思う。十代のころはどれも いまの結論のレベルには到達しえなかった。使わない方がよい机を使いイスを使い 電気スタンドを使って非効率な勉強をしていた。20代で机とイスはほぼ今と同等の意見となった。さらに電気スタンドのチョイスで現在のレベルに到達したのは30も過ぎてからだ。

豊かさとは 選ぶ能力があって得られるものだというのが オレの考えである。

人の真似をしてみたり 人気があるものを手に入れても それが実際に良いものかどうかを判別できていなければ「周りの人はこれだと幸せといってる。自分もそれを手に入れたから 又 使ってるから幸せだろう」という推測でおわる。どことないモヤモヤを抱えたまま。(人によっては完全に信じている) 

選ぶときのポイントの1つは値段が高い方が良いとは限らないということ。そうゆう意味ではお金持ちより良い物を使うチャンスがある。また単にAmazonのランキングで1位の商品を買えば良いというものではない。また1流メーカーの商品の方が良いとも限らない。判別する能力や経験をつかう。実際にAmazonランキング1位とか2位の商品で これはこうゆう理由でダメだと言える1流メーカーの商品がある。

子供のころ自分の部屋もあり7畳ほどの広さがあり 普通の子供部屋より広かった。さらに南向きで豊かだと思っていた。しかしこれも違った。4.5畳の部屋も家にあった。ほぼ使ってなかったのだけど この部屋の方が良いと気づいたのは二十歳ぐらいだっただろうか。実家寄っただけですでに住んでない年齢。7畳の部屋は 発熱がしにくく さらに部屋にクーラーがないので夏はこの部屋で過ごすのは刑罰のような辛さだった。当時は慣れてたので深く考えてなかったが いま思えばアレは刑罰レベルだ。4.5畳の部屋は涼しく心地よい。うちの家は気密性が高く作られていて 気にするべきことは寒さではなく暑さだったのだ!! 誰も教えてくれなかったしオレも気づかなかった。オレはこれを猛省した。狭く南向きではない 4.5畳の部屋の方が良かったのだ! 広くて南向きが良いと一般論を鵜呑みにして生きた自分のバカぶりに猛省だ。

豊かさとは選ぶ能力がないとダメなのだ。たぶん幸せだろうで終ってしまう。で 残り時間が もうほとんど無くなって気づくかもしれない。これを手にいれたのは正解ではなかったと。今後に生かせるなら良いけどね。

食事も寝るとこも 子供のころは豊かではなかった。いまの自分なら「ここがダメだ。これをこうしなければ十分に満足は得れない」と過去の自分に言える。詳細は長くなったので省略します。(追記:例えば母は料理が上手ではなかった。なのに手料理を食べさせようとする人だった。なぜ世間では料理の上手な母の子も下手な母の子もさも同様に幸せであるかのように扱うのか? オレの意見としては生活のクォリティーに雲泥の差がある) そこに到達するまでは豊かだという幻想とモヤモヤを抱いて生きてゆくこととなる。子供のころはちょっとした懲役刑だったと言って良い。現在オレは一人暮らしで 自分で家事をやっているが 子供の頃より遥かに快適である(金持ちじゃないけど)。

(文章は後からつけくわえて書いたので文章の構成は変だと思います)

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