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『道は自分で切り拓く』堀田一樹


 はじめまして。FC GRAN SUMA会長兼監督の堀田一樹と申します。以下簡単な自己紹介です。

○生年月日 1999.6.18(21)
○大学 日本体育大学体育学部体育学科
○出身 静岡県御前崎市
○前所属 藤枝明誠SC→藤枝明誠高校→イトゥアーノFC横浜


 上記プロフィールを見てもらったらわかる通り、

現在21歳です。21歳でクラブチームの会長兼監督?どういうこと?皆さんの頭の中にはクエスチョンマークでいっぱいだと思いますので、ご説明します。

■ 現役時代


 私は『サッカー王国』として知られている静岡県の出身です。中学は藤枝明誠SC(藤枝明誠高校の下部組織)、高校は藤枝明誠高校サッカー部でプレイしていました。藤枝明誠SCではチームの主軸として活躍し、東海大会出場及び県トップリーグ3位の好成績を収めました。また、クラブ選抜にも選んで頂いておりました。(ここまでは順調だったのですが、、、)


 その後、藤枝明誠高校に進学しサッカー部への入部を決めました。藤枝明誠高校サッカー部は全国高校サッカー選手権出場3回(最高成績ベスト8)、全日本ユース(U18)選手権ベスト8、プリンスリーグ東海所属の県内屈指の強豪校として知られております。部員は250名程で全国各地から有望な選手が集まってきています。250名?!と驚きを感じたことでしょう。そうなんです。藤枝明誠高校サッカー部にはセレクションがありません。250名も部員がいるとカテゴリーが7つ程(1〜7軍)あり、熾烈な内部競争が生まれます。実際、A1(1軍)、A2(2軍)以外はほとんど監督に見てもらえません。では、どのように上に這いあがっていくのか。その大半は2週間に1度で行われる部内紅白戦によって評価されます。部員数を考慮すると一人当たり10分もアピールの時間は確保されていません。(ひどいと0分、、)部内の層も厚く、A3(3軍)にもJの下部組織出身の選手や元県選抜の選手が多数在籍している、おかしな現象が生まれます。これが強豪校なのでしょう。施設設備も完璧で、グラウンドは全面人工芝(ハイブリッドターフ)、室内人工芝練習場、照明完備、アップ場、ロッカールーム、シャワー等これ以上にない素晴らしい環境が整っています。このような高校で私はいきなり壁にぶち当たりました。これまで得意としていたスピードを全面に発揮したプレイは封じられ、中学時のカウンターアタック重視のサッカーとは異なり、後ろから組み立ててボールを支配するサッカーに上手く対応することが出来ず、ギャップに苦しみました。単純に周りが全てにおいてワンランクもツーランクも私より上でした。私は変わらなくてはならないと思いました。ハードワークするところから叩き込まれ、パスのズレは許されない中で必死に順応しようと心掛けました。自主練では走り込みや、筋トレも欠かさず行いました。おかげで守備意識は格段と上がり、基礎技術もグンと向上しました。成果は少し後に出ました。2年生の夏に御殿場遠征で名門滝川第二高校と試合をさせていただいた際、たまたま観に来ていた監督を目の前に、チームの勝利及び3得点に絡む活躍を見せ、当時1番下のカテゴリーにいた私は、この試合で評価され、異例の飛び級でA2まで上り詰めました。ちなみに当時の3年生はタレント集団と呼ばれ、3名のプロ輩出&全国出場を果たした代です。この代のセカンドチームに居たわけですから、トップチームと紅白戦ができ、新鮮でした。しかし、私は3年生になる、これからだという頃にサッカー部を休部することに決めました。なぜなら、実は私はサッカー部では珍しい(全体の5%程)進学コースに在籍しており、国立大学一般受験の為に辞めざるを得なかったためです。私の高校サッカー人生はここで終わってしまったのです。簡単な決断ではありませんでした。覚悟を決め、死にもの狂いで勉強に励みましたが、結局、国立大学進学の夢は叶えられませんでした。僕の高校生活はこんな感じです。決して順風満帆ではなく、むしろ挫折の連続でした。ここを理解していただけたら、なにより幸いです。

■ 大学進学


 大学は日体大に進学。日体大は誰もが知る超有名大学で日本一のスポーツ実績を有する大学です。私は胸を躍らせて入学しました。ところがすぐにカルチャーショックを受けました。これまで私は運動神経で負ける気がしなかったし、スポーツができる方だと思い込んでいました。それは間違っていました。『井の中の蛙』と言う言葉が1番適切です。その言葉の通り、周りには私より素晴らしい実績を持っている人ばかりでした。それも手の届かないレベルで。今考えれば当たり前ですが、日体大では運動神経がいいのはスタンダードで、そこからプラスアルファでした。授業のレベルも異次元に高く、予想を遥かに超えていました。私は全く目立ちません。このまま実績で劣る私が周りと同じ選択をして同じような生活を送っていたら、自分の居場所がなくなってしまうと思いました。なにか新しい挑戦をして自分で道を切り拓かなくては未来はない。そう考えるようになりました。高校時代の監督の勧めで決まっていた大学サッカー部への入部も考えた末、土壇場で断念しました。自分が大学でサッカーをやる意味とはなんだろう。どれだけの価値があるんだろう。自分はなにがしたいのか。どんな人間になりたいのか。この期間はひたすら自問自答していました。ここでの答えが今に繋がっています。ですが、敢えて答えは言いません。このクラブでの取り組みから堀田一樹という男の生き様を感じていただけたらと思います。あの時の決断に後悔はなく、むしろ正解でした。もちろん大学サッカー部でも通用した面もたくさんあると思いますし、得られることも多かったと思いますが、その先の可能性を考えたらこの決断が私にとってベストだと思っています。

■ 大学進学後

その後、お誘いがあり、現神奈川県社会人サッカーリーグ1部イトゥアーノFC 横浜へセレクションの末、入団を決め、新しい環境にチャレンジをしてみたり、新設のフットサルチームの活動に協力したり、色んな経験をしました。

■ チーム創設


そして、ついに大学1年の秋、2018年10月28日に大学生サッカークラブチーム/FC GRAN SUMAが誕生するのです。
 
長くなってしまいましたが、先程の疑問に繋がります。皆さんお分かりいただけたと思いますが、FC GRAN SUMAは私自身が立ち上げた大学生限定のクラブチームです。だから、この若い歳で会長兼監督を務めさせて頂いているというわけです。これまでの挫折や経験こそが私にとって、大きな財産となり、輝かしい実績もない私を突き動かす原動力になっています。

■''大学サッカーに革命を"とは


 それでは皆さん!私は監督でもありますので、サッカー観についての話もしたいのですが、素人の方は理解しにくいと思いますので、1番知りたいであろう創設理由にも繋がる、簡単なチームビジョンを説明します。FC GRAN SUMA『大学サッカー界に革命を』?!なんじゃそりゃ?!これは横断幕の内容なのですが、この横断幕を見て、皆さんから何度かこのような質問をされます。

 『革命を』とは??それは一言で表すと、学生がスポーツ・サッカーを社会との架け橋にできるクラブチームを実現することです。現在、日本におけるプロスポーツ、サッカーではJリーグは昔に比べ、著しい発展を遂げています。その理由の一つに育成組織の充実があげられます。ここに大学スポーツも取り込まれつつあるのです。いわゆる学生スポーツのプロ化です。具体例としては、少子化等の社会情勢の変化に伴うスポーツ推薦・特待枠の拡充による部活動の位置付けの変化や、他競技で特に顕著な外国人留学生のスポーツ利用、部内における上位層と下位層の環境格差等、行き過ぎた勝利至上主義、競技の高度な専門化により本来の学生スポーツの意義の根本が揺らぎつつあります。また、学外にはそもそも学生スポーツの振興を掲げる競技スポーツチームは私の知る限りは存在しないのが現状です。私はここに注目しました。競技スポーツはプロを目指す人だけものでは無いと思います。違った目的や手段でもいいと思うし、学内に捉われれず、学生の競技スポーツの環境をもっと多様化していいと思います。

■ キャリア支援

 我々は学生スポーツの一つの要素として考えられるキャリア支援(就活支援)をベースとしたチームづくりを行っています。我々は、競技スポーツ×キャリア支援の実現こそが学生スポーツのニーズそのものであると考えます。学生たちは自分自身の為に、クラブチームを利用するという形で生産性を生む仕組みです。誰かに面倒を見てもらうわけではないということが大切です。つまり、誰もなにも動かなければ活動はストップし、いつチームが崩壊してもおかしくありません。不安定なチームと言えばそうですが、主体性が大いに発揮できる環境がここにはあります。これらのチームビジョンを追求することで、学生スポーツのあり方を社会として再確認出来ればいいなと思っています。

■ 昇格戦へ!

 弊クラブは多くの人の協力により、今シーズンより神奈川県社会人サッカーリーグ3部参入を果たしました!現在リーグ優勝を決め、昇格戦に挑みます。皆さん、今後ともFC GRAN SUMAの応援を宜しくお願いします!その中でほの少しでいいので、私の取り組みにも注目していただけたら嬉しいです。そして、是非拡散宜しくお願いします!

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