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YouTubeもなんだか飽きてきたな

俺、テレビ見ないんで。に等しい乾いた空気を生む発言だが、マンネリズムを感じているのは確かだ。
さーて、この要因は何だろうかと考えてみると一つの答えが出た。
テレビの代替コンテンツに成り下がってるのが問題なのだと。

上のランキングは2021年上半期の国内再生数上位である。
この界隈に疎い筆者でも聞き馴染みのある面子がちらほら。子供がなりたい職業ランキング上位にyoutuberが選ばれているので、彼らは憧憬の的なのだ。
昨今、テレビタレントやアーティストの進出が目立っている。これも上記の数字取りの一環と、低予算且つ短時間で収めることができるトータルパフォーマンスの高さにチャンスを見出したのだろう。テレビ番組のスタッフと手を組んでスタート可能な優位性もあるし知名度も高い。知名度が高いと好感度も高いだろうから(長く活躍している証左)新規コンテンツとしてうってつけなのだ。おそらくスタッフたちは虎視眈々とタイミングを謀り、youtube上陸を参画していたに違いない。宮迫本人なんかは良いタイミングで謹慎したなと思ってる筈。好感度は高くないのに持ち前の個性で凌ぎ、再び人気を獲得できた訳だから。一歩遅れていたら鳴かず飛ばずで悲惨だったかも知れない。
ただ、業界からの参入となると分厚い障壁がある。テレビとyoutubeとの温度差だ。
テレビは時間枠が決められているが、youtubeには時間制限が無い。長すぎても短すぎても駄目だし、内容によってはパートで分ける必要がある。当然だが、続編形式にすると次第に視聴数が目減りしていく。パート1に強烈な引きが生まれても、パート2以降でファーストインパクトを維持していくのはほぼ不可能だからだ。映画のシリーズでも大抵は初代の方が面白いのがそうだ。そうなると企画力と持続力を試される。テレビのノリを持ち込まれても嫌悪されるし、ファンでもない限りは内輪ネタも厳しい。結果、トレンドのコピーが蔓延する。ベタなコラボや○○してみた等、擦られまくった企画を便乗で消化するしか無くなる。これではいかんと派手なことに挑戦するが、コンプライアンスに縛られた有名人には限界がある為、既視感のある動画に落ち着いてしまう。これが素人(youtuber)との圧倒的な温度差ではないか。

剰えガイドラインが厳格化してきている昨今、この出涸らしコンテンツからの脱却は難しいだろう。視聴率稼ぎに一喜一憂しているテレビ局と遜色なく、視聴側は「またか」と顰して倦厭する未来しか見えない。テレビ番組にyoutuberが引っ張りだこな逆転現象と言い、飽きの根底にはテレビ業界の跳梁跋扈が問題であるようだ。

勿論、全ての原因がコレだけではない。youtuber飽和状態という事態が起きている。
数年前(明確ではないが)、Hikakinを筆頭に商品レビュー動画が流行した。そのヒットコンテンツに肖ろうと粗悪な投稿が跡を絶たなかった。
これを見て憐憫に感じた記憶がある。ただの猿真似をみて面白うはずがないからである。
数字が伸びず、その事実に気付いたのか、徐々に内容がエスカレートしていき逮捕者も出ている。明るみに為らずとも迷惑や被害を起こした自称youtuberは今も昔も多いだろう。
弁えずに神格化されたランク上位者だけを崇拝し、動画に撮って恥を晒していくのは悪辣極まりない。それら有象無象を見てる側も、飽きて散り散りに消えていく始末。ここにyoutubeの限界を見て萎萎(シオシオ)になるわけだ。

これが分別のつく社会人ならまだしも、子供が取り込まれていくのが危険。
子供といえば、例の革命家が有名だが、彼は親がしっかりと(してるかは不明だが)マーケティングされて成功した極な例。あれに憧憬して盲従する同年代の子が増えていくのはマイナスでしか無い。ここで確率の話を持ち出しても蒙昧とした子供を諭すのはなかなか難しい。

これは宛もなく大海に飛び込んで溺死するようなもの。大仰でもなんでも無い。
この大海をネットの海と捉えてほしい。不用心に挑めば、その醜態が半永久的にインターネットに残り続ける。無価値な個人浮標がプカプカ漂っているのは滑稽だ。
溺死とは人々の記憶から消えていくこと。永遠に忘却されればいいが、いつ再浮上して死体蹴りされるかも分からない。情報とは消滅さえしないが分解はされ続ける。

人の情念は恐ろしいもので、憤怒や偏愛の対象、金に成れば悪徳商用や嘲りのネタにすらされ続けてしまい、実生活にも障害が及び始める。
動画投稿は思い立ったが吉日!では済まされない。いつ凶日に変様するか分からないのだ。

SNS全体の母体が大伸長を遂げて、アーリーアダプターが増加する一途。
コロナ禍で巣篭もり、オリンピック効果で情報を求める人も増え、新規参入が更に増すだろう。
然し、このまま行けば情報過多が生じ、あと3年で停滞してくると筆者は予想する。

1972年、スイスのローマクラブが発表した「成長の限界」という説が話題になった。
~このまま人口増、環境汚染が進行していけば100年のうちに地球は限界を迎える~
要するに、地球資源は有限なのに無闇に人間増え続けたら滅ぶぞバカってこと。
これはインターネット世界でも例外ではなく、ユーザーが増え過ぎれば情報過密状態が起きて凋落する。

Q.人間は無限に生まれるのに情報は有限なのか?その答えはイエス。なぜなら情報を入出力できる人間の方が圧倒的に少数だからだ。
皆、新しい情報を追い求めている。学習・思考する時間を極力削いで、近道して情報量を身に着けたいと拙速する人が大多数だ。世の中に情報系コンテンツ、そのメソッド的媒体が輻輳しているのが証左している。
成長の限界説から丁度50年経っているが、回復は危ぶまれる一方ではないか。果たして人間の意識レベルは何処まで落ちていくのやら。

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