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わたしのこと 3 | 新人類といわれた新入社員時代

1年頑張ったら辞めてもいい

有り難くも入社させてもらった会社は
当時社員1.5万人超の大手ハウスメーカー。
でも、
「インテリアコーディネーター」を目指していたのに
人事部採用教育課に配属が決まり、
入社前に辞退しようとして母に諭されることに。
そこで
「1年頑張ったら辞めてもいい」と言われたため
素直に4/1の入社式へ出席することにしました。

親の愛情は黒

髪の毛の色は退色しやすいのもあり
大学卒業後の3月末は綺麗な茶髪でした。
今でも覚えているのは
3/31帰宅したら
玄関で母が黒い毛染めをもって立っていたこと。
「明日の入社式のために」と
黒く染まった髪を見て
絶望に似た気持ちになりました。
「だれもこんなの見てないって」
と渋々出社した朝、
先輩が私をみて
「良かった~黒くなってるね!」と一言。
社会人の当たり前が
自分の認識と違いすぎることを
肌で感じた瞬間でした。

仕事ができないことに気付かない新人

電話にビクビク出る、ワードが打てない、
社会のルールが分ってない、
直属の上司やその周りの人にも普通に話し
お酒の席でもたくさん失敗する、
けど、とにかくめげない明るい新人、
それが、わたしでした。
上司先輩からは
「ついに新人類が人事部にやってきた」と
言われていたようですが、
もちろんそんなことにも気付かないまま
我が道を行き、包容力ある方々に
たくさん可愛がっていただきました。

当時の採用の仕事は
面接の設定や受付、面接表の処理や事務など
書類に囲まれることが裏方がほとんどでしたが、
表舞台に立つ仕事もありました。
オンライン説明会が当たり前になった今では
考えづらいのですが
200人を超える学生さんをホールに集め
その前で司会進行、というお仕事です。
また、内定者に会社を案内したり
懇親会に出席したり、
会社の顔として認識されることが多かったので
想像以上にプレッシャーもありました。

表に出る仕事は、性格的に地味な私には
かなり不向きな仕事だと認識していましたが、
与えられた仕事にはトライしていたので
仕事はしっかりしている「つもり」でした。
ただ、今でも思うのは、
圧倒的に足りなかったのは、
仕事上での人への思いやりや気遣い。
求められていることを理解して、
一歩先までの仕事をする配慮。

「仕事に必要なこと」「常識」「できる〇〇」
の答えを知りたければググったら出てくる
そんな時代ではなかったし、
そこまで厳しく指導されることもなかったので
当時は自分が仕事が「できない」ことには
気づくことはできませんでした。

でも、そんな私にも
全てを丁寧に教えてくれた先輩・上司・会社、、
組織の力って凄いと今でも思いますし、
1から社会について教えてもらえたことは
心から感謝しかありません。

→ 次回、敷かれたレールから降りる決心 へ続く

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