連載:お寺の女性の今、そしてこれから [2] 草野妙敬さん
お寺で生活する女性のウェルビーイングを大切にするために、さまざまなお立場にあるお寺の女性のお声を共有する連載です。第2回目のゲストは、日蓮宗の大法院(群馬県館林市)住職・草野妙敬さん。お話をうかがうホスト役は、一般社団法人未来の住職塾の松﨑香織がつとめます。
ゲストプロフィール
草野妙敬(くさの・みょうけい)
大法院第六世住職。臨床宗教師。終活ライフケアープランナー。主婦、二児の母であったところ後継のために出家。「心・体・魂の癒し」を探求し、「アーユルヴェーダライフカウンセラー」「チベット体操インストラクター」としても活動。著書2冊。
◉ ロータスカードを通して、法華経に学ぶ
松﨑
草野さんは昨年、経典の智慧が日常に活かされないのはもったいない!との思いから、法華三部経の教えを枚のカードに凝縮し、「法華経の智慧を日常に活かすロータスカード」と名づけて出版されました。
草野
法華経の解説書や講座はたくさんありますが、特に仏教に初めて触れる方からは難しいと言われます。でもカードになっていれば、引いたお経の言葉の意味を知りたいと思えるのではないか、と思いました。深遠な教えを浅学な自分がこうして発信することへの葛藤はあったものの、法華経からあふれる感動を自分なりに分かちあいたくて、創作しました。内容が偏ったりミスリードになったりしないよう、身延山大学前学長の浜島典彦先生に監修していただいています。
松﨑
ご自身で書かれた解説ブックレットがとても分かりやすいです。
草野
初めての方にも伝わるよう一枚一枚のカードに記されているお経の言葉の説明と、その文言を腑に落として日常に活かすためのメッセージを載せました。難しいように思えるお経も、心底悩んで「自分はどうしたらいいのだろう?」と問うて引いた言葉は、自分ごととして響いてくると思います。
◉ 「自灯明法灯明」
松﨑
ロータスカードから法華経を学びあう講座も開かれていますね。
草野
講座では、よく「自灯明・法灯明」の話をしています。イライラしている時の自分と、満たされている時の自分が違うように、「自」というものは不安定で常に変化していますよね。その「自」を拠り所に「自灯明」だけをしていると迷いと苦を深めかねません。また「、自灯明」することなく「法灯明」だけというのも危険です。「法」だけに拠ると、教義を絶対視して自分の気持ちよりも教義を優先してしまいがちになりますのでね。このロータスカードを使って真理に触れ「法灯明」しながら、自分の気持ちも大切に「自灯明」と両立して、自分の中の仏種を華咲かせていただければとの思いをお伝えしています。
◉ 「仏・法・僧」 -幸せの連鎖への鍵
草野今日の私たちのこの場が、どんなことを伝えようとしているのか、一枚カードを引いてみましょうか。
松﨑
「過阿僧祇劫不聞三宝名」というカードが出ました。この言葉にはどのような意味があるのですか?
草野
「仏・法・僧」のカードですね。
二十八の章から成る妙法蓮華経妙の中でも核心となるのが「如来寿量品第十六」と言われていて、このカードはまさにその中の文言です。お釈迦様は仏・法・僧を、仏教徒にとっての心の拠り所となる三つの宝として弟子たちに示しました。なぜ仏・法・僧なのかというと、「〝仏〞覚者の存在、〝法〞宇宙の真理により人生が本質へと導かれる。それを一過性のものとせず、たゆみない実践から離れずにいさせてくれるのが〝僧〞」というふうに、三つのうちどれか一つでも欠けてはならない、人生に必要な要素だからです。どんなに心が苦しい時でも私たちには三つの宝があるということを伝えています。
松﨑
お釈迦様は、サンガ(僧)は悟りの一部ではなく、その全てである、と説いたそうですね。それほどに大切なのだと。
草野
そうですね。仏・法・僧の「僧」について、私は僧侶というより「仲間」と解釈しています。「繋がり」ですよね。自分が迷った時に知りたいことを教えてくれる人、内に閉じこもりがちな時に外の明るさを示してくれる人、フラットな立場で情報を共有して世界を広げてくれる人、ガイドのように目的地へと一緒に行ってくれる人。そんな共振共鳴する仲間との繋がりは豊かな人生の鍵となります。
◉ 心地よいバイブレーションと感応
松﨑
草野さんは、地域の寺庭婦人の集まりを主催されることになったそうですね。
草野
私は寺庭婦人ではないですが、会員だから、担当だから、と役に当たった人が頑張って開催するより、やりたい人がやればいいと、喜んで主催をお受けしました。お寺に縁ある女性同士、せっかくなら楽しみたい!と、ミセスジャパンファイナリストに学ぶ艶肌メイク講座や心も体も喜ぶヘルシーランチ、ロータスカードのシェアリングなど、私が一番楽しみなんじゃないかという内容で企画しています。メイク講師の方も、ランチをお願いした方も、大法院に有縁の方。人との繋がりが有り難いです。
人間は「快」へと向かう本質があり、心地よい状態になることで自然と良いバランスが取れるのだと思います。欲を絶った忍耐と我慢の果てに悟りの境地があるように思われがちですが、お釈迦さまも苦行はダメだと言っています。皆が心地よい状態へと自分を持ってゆけたら、人間関係はどれだけ良くなるだろう、って思うんですよね。
般若心経の中に、観音様はお釈迦様のそばで良いバイブレーションに触れ、感応で悟りを得たという話がありますが、とても大事なことを示唆しているのではないでしょうか。自分を心地よい状態へもってゆくことができると、それに呼応した良い仲間との出会いがあり、それに感応して自分もまた良い状態になってゆく。そうした良い循環で社会全体が良くなるといいなと思います。
◉ 「諸法実相」 -真の有り様を知る
松﨑
心地よい状態にどうしてもなれなくて、でもせめて湧き起こる苦しさからは解放されたいと思うとき、私たちはどうしたら良いのでしょう。
草野
同じ場所で同じことをしていても、感じ方って人それぞれですよね。ということは、自分の体験していることは自分の反応の延長に展開している自作自演の物語であって、ありのままの現象ではない、ということなんです。だから、本当に苦しい時には「諸法実相」から入ると良いです。周りの状況や人間関係が自分にとって苦しいものに感じられても、本当はお化け屋敷でバーチャルを怖がっているようなものだという自覚をうっすらとでも持てるようになると、だいぶ楽になります。どんなに周りの人や環境に苦しみの原因があるように見えても、実は、そうではないんです。
松﨑
反応している自分に気づくことが、ありのままの現実を見て苦から離れる第一歩なのですね。でも、なかなか難しいです。
草野
法華経の中には、そのように達観することの大事さが繰り返し出てきますが、いかに世界をありのままに見るかというのは、これはもう練習なのだと思います。何度も試して引き戻されながら気づいていくという練習。私も、これ以上ない、ってほど苦しいこと、ありますけど、そんな時は、もう降参しちゃうんです。仏にゆだねきってしまう。そうして諸法実相に学び、現実の受け止め方を変えていくことで、仏の世界へと広がってゆきます。
◉ 自力と他力のコラボレーション
松﨑
草野さんは人生の「四苦」(生老病死)に向き合うさまざまな活動をご自坊で展開されていますね。月例祈祷会や女性のための寺子屋「蓮月」などを開催されています。
草野
うちのお寺の看板は「日蓮宗祈祷所」なのですが、祈祷によって全ての解決を望む場合にはご期待に添えません、とご案内しているんですね。人間、謙虚でありたいなあ、と思うのは、科学的に説明できないような奇跡が起こることは本当にあって。でも、それを追い求めるのはチープなことだと思います。偏ってはいけない。自分の力と神仏のご加護のコラボレーションで結果がかなうのですからね。
松﨑
大法院を訪ねて来られる方々と、常に正直な気持ちで向き合っていらっしゃるのですね。
草野
自分の経験からも感じるのは、状況を変えたくても、どうにも解決つけられないようなことって、やっぱりあるんだ、っていうこと。だからこそ苦しんでいるのに、突き放すような正論は言えません。教義としては正しくても、それだけでは解決されない苦しみは、存在します。そのループから抜け出すための話は、きれいごとではないのでしょう。このお寺では相手が話しやすいように、私も自分のことをオープンに話しています。誰しも、「ここでは何を言っても安全なんだな、受容されるんだ」という体験がないと、なかなか本音を話せないですよね。「世界一正しい人に世界一罰せられる気がして、お坊さんには悩みを打ち明けられない」という話も聞いたことがあるので、本音で語り合える場所にしてゆきたいなと思っています。
この連載記事は、大正大学地域構想研究所BSR(Buddhist Social Responsibility)推進センターが毎月発行する『地域寺院47号・48号』に掲載されました。
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