Case08|人とお寺の自然な関わりの中で、神仏を感じられる場となる(大阪府南河内郡 本門法華宗 法華寺 庄司真人さん)
※ まちに開く まちを拓く『地域寺院』2024年1月号より転載(文・写真/遠藤卓也)
プロフィール|庄司真人さん
1962年生まれ。平成30年4月、住職就任。関西学院大学文学部・兵庫教育大学大学院卒。公立中学校社会科教師として18年勤務後、退職。現在は臨床心理士、学校心理士、特別支援教育士の資格を持ち、寺務と並行して公立学校カウンセラーとして勤務。僧侶本来の姿勢は、人の悩み、苦しみに寄り添うことであるとの思いから、宗教と心理学の両面から檀信徒の方々に向き合っている。
霊水の湧き続けるお寺で
大阪府南河内郡にある法華寺は、室町時代後期に始まったとされる。日連聖人の九代目の弟子であり、法華宗の門祖である日隆上人が、南北朝戦乱の慰霊のために南河内を訪れた際に、日照りで水不足に苦しむ加納村の人々の願いを受けて山中にて祈念を行なった。柳の杖で地中を突くと、なんと水が湧き出た。
この水が村を救ったことから、法華寺が創建されたという。以後580年経った今も、法華寺にある「水原堂(みずもとどう)」の奥からは霊水が湧き出ていて、地域の人々の信仰を集めている。
教員たちの学びと癒しの場として
現在お寺を預かっているのは第三十一世住職の庄司真人さん。教員を18年間勤め、現在はスクールカウンセラーとしても活躍する庄司さんの元には多様な人々が集い、河内平野を一望できる眺望の客殿を賑やかにしている。
隔月で開催しているのは「教員カフェ」だ。ストレスを抱えがちな学校教職員の憩いの場となるようにとスタートした。最初は単なるおしゃべりの場だったが、教員時代の教え子を招いて講演してもらうと、これが抜群に面白かった。どん底の苦労をして自殺未遂もしかけたような子が今は農業で頑張っている。その話を聞いた現役の教員たちは度肝を抜かれたという。明日をも知れぬような人生を送っていた人が、頭の下がるような話をしてくれる。常識に捉われない発想や工夫が、とても学びになるのだ。
これをきっかけにゲストティーチャーを招く形式にしたところ、毎回15名程度の人が参加する会になった。早めに来て景色を眺めながらランチを食べる参加者もいるそうだ。教員たちのストレス発散のためのよき場になっていることが窺える。
熱血先生からスクールカウンセラーへ
庄司さんが教員として最初に勤務した学校は、隣市の富田林の公立中学校だった。当時はすごく荒れていて、新聞やテレビにも出ていたような学校だ。「ヤンキー」と呼ばれていたような子たちを相手に必死になって朝から深夜まで関わり続けた。
教師としての日々は充実していたが、自坊の法務も担うようになると限界を感じた。お寺のこともやりながら、教育現場に関わり続けられる道として、スクールカウンセラーを目指すことに。大阪府でスクールカウンセラーになるためには、臨床心理士の資格が必要。まずは大学院に入る必要があり、その後2年間の学びを経て資格試験となる。当時、庄司さんは40代前半。大学院合格とともに教員は辞めたが、学校現場でのサポートの仕事や法務を担いながら、夜遅くまでの勉強は本当にしんどかったと振り返る。
苦労の甲斐あって資格試験に一発合格。現在は、平日の午後を中心にカウンセラーとして活動し、それ以外の時間を住職としての活動に費やしている。二足の草鞋は相変わらず大変だが、おかげで嬉しいご縁にも恵まれているようだ。
お寺だからこそ続く関係性
先日、お寺まで来てくれた大学生は、彼が小学生の頃にカウンセリングで関わった。「場面緘黙(かんもく)」という、家では普通に話せるのに学校など特定の場所で話せなくなってしまう疾患を持っていた。2年間ほど一緒に発声や想定場面の練習をしたが、その練習が嫌ではなかったか?ということが、長年気になっていた。
しかし8年ぶりの再会によって、やっと本心を聞くことができた。彼は「練習のおかげで、人前でも声を出せることがわかったんです」と言ってくれた。現在は大学で心理学を学んでおり、クラブに入っているという三味線の演奏も披露してくれた。カウンセリングに感謝しているからこそ、わざわざ訪ねてくれたのだろう。庄司さんも「喉のつかえが取れたような気分でした」と喜ぶ。
普通ならば、後からカウンセラーが関わりを持つことは稀だそう。カウンセラーが素性を明かすことはほとんどないため、転勤となれば縁が切れてしまうことがほとんど。しかし庄司さんの場合は、名前で検索すればお寺のホームページがヒットする。住職として顔写真も出ているので、身元が特定できる。「だからこそありがたいんです」と庄司さんは言う。住職として身バレしているからこそ、今度はお寺で関係性を続けることができる。
一番長いのは、中学一年生で不登校になった子で、33歳になった現在までずっと付き合いが続いている。対人恐怖症の子にはお寺の落ち葉掃除のアルバイトをしてもらった。学校でのカウンセラーとしての顔もあるが、宗教者としての顔も持つからこその間柄といえる。「昔からお坊さんは地域の人々の色んな相談にのっていますからね」と、庄司さんは笑顔で語る。
「お参りのしやすさ」にこだわる
教員時代もカウンセラーになってからも、地元の学校現場に関わり続けたことにより、自然と庄司さんの周囲に信頼の輪が広がっているようだ。子や孫のお宮参りや七五三、また、新車の交通安全祈願など。卒業生が頼ってくれるのは庄司さんとしても嬉しい。
檀家さんに対しては、副住職時代から様々な工夫を行なってきた。特に大事にしてきたのは「お参りのしやすさ」だ。高齢化が進む中、お寺まで来られなくなってしまうことは寂しい。本堂までの急峻な坂については、法要時にタクシーをチャーターしてピストン輸送してもらうようにした。
客殿に上がるための上り框や、参道の手すりを増やし、椅子席にも対応した。コロナが流行っている頃は、施餓鬼が密にならないように「分散予約型」に変更した。おかげで今もなお多くのお檀家さんが法要に参加してくれる。
「神仏」に触れ合えるお寺を目指して
この数年をかけて「人」とお寺の関係づくりに邁進していた庄司さん。次はいよいよ、「人」と「神仏」が触れ合える場所としての法華寺を整え始めている。
最近は、境内の番神堂におられる「三十番神」と「鬼子母神」のお像の修復を行なった。費用はクラウドファンディングならぬ「てらうどファンディング」と称して、少額寄付を募ったところ、必要額の倍以上の金額が集まり、無事に修復が完了した。
「困った時の神仏頼み」は日本人に浸透しているが、その神仏の存在を確信しているという人は少ないと庄司さんは言う。何かの願意に特化したご利益を求めるのではなく、普段の生活の中で神仏に見守られ・支えてもらっている自分に気づける場所にしていきたい。そのために、諸仏へのお参りのしやすさを整えたり、ご霊水という水資源への感謝と境内の自然保護。そして何百年と変わらぬ山並が眺められる客殿に人が集まる機会を増やすような活動をする。法華寺にお参りした人が、自然に神仏の存在を感じられるような、お寺づくりを目指しているのだ。
【教訓】
過去の人脈を今の活動に活かす
参拝者の身になって利便性を整える
自坊の起源・由緒を大切にする
あとがき
庄司さんはこれまで三度も未来の住職塾を受講してくださり、その度に法華寺の事業計画書をアップデート・実践を繰り返してこられました。今回の取材で、私も初めて「急峻な坂道」「霊水」「見晴らしの良い客殿」などを拝見して、課題を解決し魅力を活かすという"改善"の積み重ねの大切さを思いました。特に、お参りに来てくださっている方の利便性や快適さを最優先して、「人が来てくれること」を安定させてから、今度は「人々が神仏とつながること」に着手されるという順序。ビジョンを描き、目標への道筋を整理なさっているからこそと感じます。今後の展開がますます楽しみです(遠藤卓也/未来の住職塾講師)
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