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連載:お寺の女性の今、そしてこれから [13] 佐々木妙章さん

こんにちは。未来の住職塾の松﨑香織です。

この連載では、お寺で生活する女性のウェルビーイングを大切にするために、さまざまなお立場にある、お寺に暮らす女性のお声をお届けしています。第13回目のゲストは、日蓮宗・妙法寺(大阪府堺市)の副住職 佐々木妙章さん。

取材・文 ● 松﨑香織 

写真:佐々木妙章さんご提供
ご自坊所蔵の、江戸時代の堺の賑わいを描いた「住吉祭礼図屏風(複製)」の前にて

ゲストプロフィール:佐々木 妙章(Myosho Sasaki)
愛媛県生まれ。立正大学大学院卒業後、立正中学・高等学校勤務。2012年より長榮山妙法寺副住職。未来の住職塾五期生。全国日蓮宗女性教師の会事務局長。お寺の公益性を模索し、仏教や法華経信仰を伝えていくことに住職と取り組む。妙法寺の前庭は、大阪芸術大学教授・造園家の福原成雄先生による法華経信仰に基づいた七五三(七、南無妙法蓮華経、五、受持、読、誦、解説、書写[五種法師]、三、佛、法、僧[三宝])の作庭。街の人たちの祈りの場、癒しの場となっている。
妙法寺ウェブサイト:http://sakai-myohoji.com/

■ 門が開き、お経が流れ、いつでも気軽に寄れるお寺

妙章 私の実家はお寺ですが、僧侶になろうとは思っていませんでした。ですが、学生時代に親しい友人を救えなかったことから、僧侶になる決心をしました。

 のちに、海上自衛官だった夫と出会い結婚し、堺市の妙法寺に夫婦で入りました。退官して出家した夫が住職を、私が副住職をつとめています。二人ともこの街の出身ではなかったのですが、縁あって預からせていただくことになりました。

ーーお二人は、街とお寺の垣根をなくすようなお寺づくりを続けていらっしゃいますね。どのような思いから取り組まれていますか。

妙章 妙法寺のある3キロ四方の環濠エリアには200軒ほどの寺院があります。そんな中で自分たちのお寺はどんな役割を果たせるかをずっと住職と考えてきました。まずは堺市を知ることからスタートしようということで街歩きを始めると、多くのお寺の門が閉まっていることに気づきます。それであれば、うちのお寺は扉を開けておいて、誰もがいつでも入れるようにしてみよう、と思いました。

 現在は、夜も明かりを灯して門を開けていて、夜遅くに訪ねてこられる方もあります。朝と夜の毎日のお勤めも、どなたでもご一緒いただけるようになっています。

■ ご縁の数珠つなぎが開く未来

ーー町のひとたちや行政とも連携しながら町おこしをされていますが、それはどんな出会いから始まったのでしょう?

妙章 堺市の歴史の勉強を続けながら、街を歩いて史跡を訪れたりする中で、千利休のお墓のある寺院を拝観した折に、観光案内をされているボランティアさんと出会いました。説明を聞いているうちに「千利休の最初のお師匠にあたる茶匠・北向道陳のお墓は妙法寺というお寺にあります」というお話になり、「それうちのところのお寺なんです」という展開になって。南蛮貿易などいろいろ特色のある堺市ですが、とりわけお茶で町おこしをしたいという観光ボランティアさんたちの間で「妙法寺とも関わりたいね」という話があったらしく、このことをきっかけに皆さんとのご縁ができ、そこから街の人たちとの関わりも始まりました。一緒に文化財公開を催し、その流れからお寺を使った和菓子づくりやお茶、書道などの文化体験を企画したりして、来てくださる人たちにお寺の空気や歴史を味わっていただいています。

 市民団体さんと堺市が協働する「堺asobi」という企画にも取り組みま
した。街のお寺や神社で歴史文化のお話を聞いたり、静かな境内で地元の食事を味わったりと、五感で堺を体験できる風流な企画です。
市をはじめとする行政との繋がりについては、これだけお寺が多いエリアで一ケ寺が直接に繋がることのハードルを最初は感じていましたが、観光ボランティアさんたちとの活動を通して少しずつ行政とも関わるができ、連携ができるまでになりました。

 こんなふうに、一歩ずつ地道に学びながら、人と出会って、そこから方向が自然と定まったり、さらなる新しいご縁に繋がったりするんだな、としみじみ感じています。

■ 街を知り、寺の歴史を知る


ーー堺市の歴史や、妙法寺ゆかりの北向道陳さんについても随分とお勉強されているんですね。

妙章 入寺した当初は、住職も私も、町やお寺の歴史のことを何も知らなかったですからね。堺市博物館の学芸員さんたちをお寺にお招きし、いろいろと教えていただく会を開いたり、老舗製茶店のご主人を招いてお茶の歴史を学ばせていただいたりもしました。

 ちょうど道陳忌を始めようと思っていた頃のことですが、道陳さんに関する資料が少なくて困っていたところ、妙法寺が文化財公開などをして門戸を開いていることを知ったご子孫が家系図を持っていらして、いろいろお話を聞かせていただけるという、思いも寄らないご縁もありました。

北向道陳忌

■ 僧侶として在りたい姿

――お寺の歴史を深く掘り下げていった先に、新たな出会いが生まれることもあるんですね。

妙章 いろんな方とご縁で結ばれていく中で、地域の方から、相談事、御祈祷、法事・葬儀などを頼まれることがどんどん増えていきました。ご家族のことを事前にうかがってお参りしやすい環境を整えたり、亡くなられた方のことをお聞きしながらお戒名をつけたりして、初めての方々とは、そんな心の交流をなるべく丁寧に重ねて、その後も折に触れて仏事などをご一緒に執り行いながら仏縁を深めさせていただいています。住職と私のコミュニケーションや情報共有も欠かせないですね。学びの場も二人でなるべく共有するようにして、同じ目線でお寺のこれからについて意見を交わしたり、人々に寄り添える僧侶としてあり続けられるようにと、心がけています。

 お坊さんには、一人の人でありつつも、その信念や、その人自身の姿勢を通して仏様を感じられるような存在であってほしい、と思います。なかなか難しいのですけどね。でも、自分もそういうふうになっていきたいです。

ーー妙章さんが人々に寄せる思いをじっくりと聞かせていただきました。今日はありがとうございました。

この連載記事は、大正大学地域構想研究所BSR(Buddhist Social Responsibility)推進センターが毎月発行する『地域寺院60号』に掲載されました。
地域寺院は、これからの地域社会に必要とされる寺院の在り方を探る情報を発信する月刊誌です。
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インタビュアー プロフィール

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松﨑香織:一般社団法人未来の住職塾 理事。米国Fish Family財団 JWLI (Japanese Women’s Leadership Initiative)フェロー。役員秘書として銀行の経営企画に10年間携わったのち、ロンドンの非営利組織にてマーケティングに従事。2014年より未来の住職塾ならびに塾生コミュニティ(現在約650名)の運営に携わる。全日本仏教会広報委員会委員、WFB(世界仏教徒連盟)日本センター運営委員会委員。

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