アニメ映画『アイの歌声を聴かせて』は、夢物語でも理想でもなくなった『ドラえもん』なんだ

どうしようもなく愛おしくなる、愛情のものがたり。

『アイの歌声を聴かせて』今日観てきました。ほとんど人のいない月曜割引の劇場で観てきましたが、そんな贅沢が申し訳なくなるくらいに素晴らしかった。

最初に。観るかどうかの判断材料にするためにこの記事に来たひとは野暮ですよ。感想なんて、作品の完全下位互換でしかないんだから、この感想が面白くなくても観に行け。作品そのものは観に行く前提でこの記事を読みたい人は読め。

ネタバレなしでいきます。って書いたけど暗示はしちゃうかもしれないから、あとたぶん観たあとで読んだ方が面白い記事になるだろうから、できれば先に観てきて。

はい。注意はしたよ。

まず、この映画の物語が紡がれるのは、いまから5年後にでも日常になるかもしれない、街と暮らしのあちこちにAIとスマートデバイスが浸透した日本の実験都市。広大な自然風景が広がる土地で、人型のロボットがひたすらに田植えをしていたり、ソーラーパネルや近代アートのような形の風力発電機が見渡す限りに並べられた場所があり。家のシステムは完全なるスマートホームで、学校では大型のロボット掃除機が常に稼働し、部活では練習相手用のロボットが活躍する。そういった、「現代の技術や科学の延長線で十分説明ができるけれど、まだ100%普及には至っていない」ものが、生活の全てに浸透しているのが、この作品の舞台となる都市。スマホはまだ残ってるよ。家庭の設備に関しては、アレクサとIoT対応家電が全家庭にあるって言えばわかりやすいかな。

この「本当にすこし未来」な都市で、ある実験が始まる。それは、「完全に」人間を模したAIロボット「シオン」に、ひとりの女子高生として過ごしてもらうというもの。ここで言う「完全に」というのは、先ほど紹介した田植えロボットや練習用ロボットと違い、皮膚や顔のつくりなどまでもが人間そっくりであるということ。ちなみに、田植えロボ君たちはペッパー君の究極進化って感じかな。表面は無機的な白で、もちろん髪の毛や言葉を発する口も持たない。2足歩行で腕も2本ある人型ではあるけど、一見してロボットと分かる外見をしてる。けど、シオンは人間そっくりで、一見しただけではロボットとはわからない。

そういった経緯で転校してきた「ポンコツAI」のシオンと、偶然彼女がロボットであるということを知ってしまった5人の高校生の、友情と愛情に満ちた交流が描かれる。

全編見通して涙でボロボロになった後の感想だが、この作品は「もしもの話ではなくなったドラえもん」だと思う。

人間と共生し、人間を幸せにしようとするロボット、という点では彼女もドラえもんと同じだ。しかしドラえもんという作品が創られた時代とは違って、人と同じように歩き、人と同じように話すロボット、という存在は、もはや決して夢物語ではない。それを説明できる技術や概念は十分に存在しているし、それにリアリティを感じられるほどにITテクノロジーの発達した時代だからだと思う。

現在の現実世界とほぼ変わらない技術レベルの劇中で、シオンのようなAIが人間と同じ姿をして、わたしたちと対等に会話をしているというのは、連載当時にドラえもんを読んでいた人に比べて桁違いに実感が湧くものだ。

しかもそれは、シオンが決して万能ではないという側面にもリアリティを持たせている。ドラえもんの場合は「現実の技術レベルからかけ離れたオーバーテクノロジー」としてデザインされているから、現在の常識から考えて実現可能性があるかどうかということは度外視されていて、それゆえにのび太や他の人間と話していても、機械らしい不自然さ・AIらしい規則性というものは一切描かれず、完全に人間と同等の「知性」を備えた存在として描かれていた。けれどシオンは「近い将来実現するであろう存在」として、それがまだ実現してはいなくとも、とてつもないリアリティを伴って描かれている。だから彼女は、「実体がAIである」という前提から逃れられないし、「人間に限りなく近いAIをつくる」という難題において、最も解決が難しいだろうとされている部分を、あえて、人間と比較したときに不自然に見えるように描いている。

それゆえにシオンは、「幸せ」「喜び」「悲しみ」といった、具体的な定義をするのが難しい概念を本質的には理解できないし、現在普及しているレベルのAIのような細かい命令は必要としないものの、稼働するにあたって根源的な命令は必要とする。また、表面的な現象だけから規則性を見出して自分の行動の最適解を導いてしまい、半ば暴走してしまうこともある。けれど決して人間を傷つけるようなことはしないし、はっきりと意味の理解できる指示には従うし、なにより「人間のために」動くというのは一貫している。ロボット3原則とかもググってみてください。

『ソードアート・オンライン』『PSYCHO-PASS』『機動戦士ガンダム00』『電気羊はアンドロイドの夢を見るか?』などを通ってきて、かつ工業大学生である自分は、幸いにしてITテクノロジーのいろはの「い」くらいはわかっているつもりで、そのおかげでシオンの「人間としての不自然さ/AIらしさ」のリアルさが、彼女の存在が決して夢想なんかじゃないということをこれ以上ないくらいに実感させてくれた。

その上で、人間と同じようで少し違う存在である彼女が示してくれた彼女なりの愛情の形に触れ、私たちとAIは確かに共存できると信じさせてくれるのがこの作品だと思います。

今日も、元気に、がんばるぞ、おー!

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