バナナフィッシュ

世の同年代が就活に向けてあれやこれやと気を揉ませている中、10万円かけて通っている大学の講義を休みバナナフィッシュという作品を観た。
とても儚く、とても悲しいアニメだった。

最近頻発に生きている事の意義を思う。
無為に仕事をして、欲しくもないタバコを吸う。
「恥ずかしい人間にならないで」と、昔母が僕が大学に落ちた時に憐れんで言った。
僕は恥ずかしくない人間になれているだろうか。
恥ずかしい人間に慣れているように日々感じる。
谷川俊太郎の詩に

「ほんとうに出会った者に別れはこない
あなたはまだそこにいる
目をみはり私をみつめ 繰り返し私に語りかける
あなたとの思い出が私を生かす
早すぎたあなたの死すら私を生かす
初めてあなたを見た日からこんなに時が過ぎた今も」

バナナフィッシュというアニメを観たあと、この詩がとても美しく、とても切なく感じた。

物語では主人公のアッシュ・リンクスは17歳で止まっているが、悲しくも大人になってしまった僕は、最終話のタイトルにもなっている
「ライ麦畑でつかまえて」
という作品の中の一節にある、
「成熟した人間は、理想のために矮小な生を選ぶ。」
という一言に纏められる。

高貴な死を選べなかった僕の人生に価値はあるのか。
矮小な生を選んでしまった人間に、救いはあるのか。
考えても考えても答えが出ない。

無為な日々を送る人達に刺さる有為な作品でした。
最低で最悪な日々に、ほんのスパイスを与えてくれるのはフィクションで、僕はそのフィクションに生かされている。
今日も僕は燻らせる白い煙の中、浅い焦燥感と共に惨めな生を浪費する。

北岡、就活します。(MC.松本)


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