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男の娘姫伝説 高校編1

私は1964年早生まれなので高校入学は79年だね。愛知県立蟹江高校に通っていた。現在は弟の通っていた海南高校と合併して海翔高校となっている。海翔高校は海南高校の校舎を引き継ぎ蟹江高校は防災用の空き地になっている。現在の受験偏差値は40を切っていて海南地域の最底辺公立高校である。海南高校が出来る前も蟹江高校が最底辺公立高校だったから大した高校ではない。いわゆる愛知の新設校の一つで管理教育が敷かれていた。他の尾張地区新設校もそうだったと思うが新設校ながら進学校に成り上がった五条高校を目指していたようだ。

さて入学してからしばらくは私の町である弥富町以外から進学した生徒からいじめを受けていた。ちなみに弥富は私達の学年の後に弥富北中学が出来るまで弥富中学校しか公立中学はなかったので弥富から進学した子は全員私のことをある程度知っている。受験偏差値が低い田舎の公立高校なので当然ヤンキー的な生徒は多かったと思われる。

夏休みが終わって学園祭(管理教育なので学園祭とは言わないし外部からはお客は来ないけど)準備が始まっていた。そんな時期に担任の地理教師Hが授業中共産党員現国教師Kの事を罵倒に近い感じで批判した。Hの言い分はKが授業中に私達に書かせた開高健の感想文を使って運動していることを批判したいようだった。私は基本的に学校の授業は聞き流してぼんやり空想に浸っているのであまり記憶していない。

それに対してクラスのM.Hさん(放送部女子で声と容姿が谷山浩子さんに似てた)達が怒ってしまって次の地学の授業からボイコットしてエスケープ帰宅してしまった。それに対応すべく放課後に生徒だけのクラスミーティングが開かれ担任Hを吊るしあげるべきであると主張された。主に蟹江から進学した生徒だったよう。

クラス40人くらいで10人程度ははっきり吊るし上げる方に同調していた。ボイコットリーダーのHさんは今考えると蟹江の子の中で人望があると言うか愛されキャラであったようだ。他の子は傍観で反対はしてなくてやるんならついていくよって感じだった。そこで私はただ一人反対を主張した。私がなぜそうしたかは自分でもはっきりしない。よってたかって吊し上げというのが性に合わないっていう理由がメインで他に天邪鬼だから反対したくなっちゃったが隠れていたかな。それでただ一人反対の私を同調派が説得しようとした。ヤンキーだけど民主的?しかし知力で周りを圧倒している私を説得できるはずもなく押し問答が続いたのだが結局私の説得を諦めボイコットリーダーのHさんの自宅があるところまでみんなで行って彼女の友人が彼女に会って話をした。

(ちなみにHさんの自宅行く前にミーティングが終わった後にルックス的には学年トップレベルのサッカー部男子蜂須賀くんが私に近づいてきて「君の言うことが正しいと思うよ」ってこっそり言ってきたよ。もちろん惚れたっていう意味だよね?違う?男の娘姫伝説高校編開幕)

翌日地理の時間かホームルームの時間に担任と話し合いがあった。他の子は担任を非難する発言をしたが私は特に何も発言なし。別に担任を弁護したいわけでもなかった。

さらにその後校長の特別授業があって問題は集結。Hさんたちボイコットグループへの処分はなかったようだ。

その後知ったのだが担任Hは私の母の松蔭高校の同級生だったようだ。保護者面談で言われるまで母は気づいていなかったそうだ。後年「そんなにH先生は目立たない生徒だったの?」と聞いた私に母は「私はプリンスだったので下々のことは知らん」と嘯いた。私もプリンセスだが優しい姫なので廷臣&領民には優しい気持ちを持っているよ。いじめられっ子なので周りには注意しているという面もある。ただ私も小学生の時は周りに気を使わず気持ち的に傲慢なわがまま姫だったが姫の地位とキャラを確立していなかった。いわゆる「女性的な」気質を確立し始めたのは中学時代である。

注1) 弥富は当時弥富町で現在は十四山村と合併して弥富市。佐屋も他の自治体と合併して愛西市となっている。

注2) 受験偏差値と言ってるが昔は偏差値はあまり言われず内申点で願書出す高校は決まっていた。私は地域の進学校である津島高校を担任英語教師の清水先生に勧められていたが通学が本数の少ない名鉄か自転車で長時間かかるので敬遠し便利な近鉄で通学できる蟹江高校にした。そもそも私は勉強以外の科目が出来ないので名古屋市内の進学校に行けない上にレベルをさらに一段下げているため知力レベルが圧倒的になる。入学後何か同じ成績選抜クラスである隣のクラスで教師が言ったらしく私の知力が圧倒的であることが周りに知られていた。いじめの理由にもなっていたようだ。

注3) 担任地理教師と共産党員現国教師は共に生徒からの人望はなかった。だからボイコットグループも現国教師を慕っていたからそうしたのではないと思う。

注4) 蟹江は農村色が強い弥富とは違って名古屋市のベッドタウン色が強くそれゆえかヤンキー的な文化だったようだ。他に津島、佐屋、十四山、飛島?からの進学者がいるのだが佐屋と十四山は弥富よりも素朴、津島は古くからの都市なので文明化されていたと思われるが私はクラス内事情に疎く弥富以外それぞれの生徒がどこ出身かあまり把握していない。佐屋も昔の街道沿いだからそこまで素朴じゃないかな?農村だったと思うが。農村にヤンキーがいないのかはどうなの?弥富も学区により生徒のカラーが多少違っていた。私の弥生学区は古くからの弥富住民元々農家が中心、専業主婦家庭でメンタル安定して優しい子が多かったと思う。いじめっ子はいるけどね。

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